同好会活動 NALC高槻・島本拠点 花みずきの会

                                                    < index




 
   謡 (謡曲) とは、 一言で云へば、能楽 (単に能とも云ふ) の歌謡である。能楽といふのは、我が国の三大演劇 (能楽・ 歌舞伎・人形浄瑠璃) の一つで、室町時代の初期に大成された楽劇である。爾来、約500年の長い年月の間、歴代の為政者の保護の下に、洗練に洗練を重ねて、今日に至ったものであって、真に世界に誇るべき大藝術である。謡曲は、この能楽の歌謡なのである。謡曲には、伝統藝術の常として種々の術語がある。謡曲を学金ばんとする者は 先づ其等の術語を一通り心得ておく事が必要である。謡曲の術語と一口に云ふものゝ、その数は非常に多い。今回この同好会で学ぶ流派は、 「 観世流 」  


 放下僧 (おうかぞう)  構想 
 下野の牧野左衛門が相模の利根信俊に討たれ、その子の小次郎は、相手が猛勢である為に敵打ちを決行しかね
ていたが、ある時、幼少の折に出家した兄を訪ね、孝の道を説いて、遂に兄を同意させ、頓て兄弟は、敵に近ずく方
として、世間流行の放下僧と放下とに変装して出かける - 中入- 利根信俊は、打続き夢見の悪いのを気にして、武蔵国瀬戸の三島に参詣しようとしたが、その途中放下僧と放下との姿に扮したこの兄弟に出会い、自分を狙う者とも知らず、禅問答など打興ずる。その後で小次郎の兄は曲舞を舞ひ、鼓を打ち、小歌を謡ったりったりして相手を油断させ、兄弟一緒に斬りかかって首尾よく本望を達するのである。大道芸人の放下僧を取り扱うのが主要目的であるが、 これを劇的に構想して、敵討つ身の假の姿としたのである。そうして舞ったり謡ったりするのを、敵を油断させる手段としているが、実はこの歌舞に構想の中心があったのであって、禅問答の箇所も放下僧の実際を写したもと思われる。                                     
                     #f 5ead3 

“2024(R6

3月
 

13日

27日
(土)
 

 メンバー : (w3 . m2 )  竹内 ・ 遠藤 ・ ・ 小林 ・ 橋本        敬称略
  
9日(土)6 名
「松虫最終」分割しておさらい。 23日(土)6 名 松虫 シテ、ワキに別れ謡う 
              亡き友を偲んで舞を舞う男。女姓が登場しない。

         次回は、4月 第2 の 12日(土)  第4 は 27日(土)

“2024(R6

2月
 

10日

24日
(土)
 

 メンバー : (w4 . m2 )竹内 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  
10日(土)5 名
「松虫」4P~8P5行目唄う  24日(土)5 名 「松虫」。 分割しておさらい。 
         音に、亡き友を偲んで舞を舞う男。めずらしく女が登場しないという。

                    次回は、3月 第2 の 9日(土)  第4 は 23日(土)

“2024(R6

1月
 

13日

27日
(土)
 

 メンバー : (w4 . m3 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  
13日(土)6 名
「清経」の仕上げ  27日(土)5 名 「松虫」。p4 4行目 分割しておさらい。 
         松虫の音に、亡き友を偲んで舞を舞う男。めずらしく女が登場しないという。

            次回は、2月 第2 の 10日(土)  第4 は 24日(土)

R6 ”2024  


 松虫 (まつむし)  構想 
 摂津国阿倍野の市で酒を売っている物の處に、いつも多勢で来て酒宴をしてい帰る男たちがあったが、ある日、その一人が酒に興じながら「松虫の音に友を偲ぶ」と言ったのを聞き窘めて、そのわけを尋ねると、昔この阿倍野の松原を二人の親しい友が通ったが、その一人が松虫の音に心を引かれて慕ひ往き、そのまま護のなかに死んでいったので、友は泣きながら死骸を埋めたが、今でも死んだ友を慕って、松虫の音に誘われて現れるのだと語り自分がその亡霊である由を打ち明けてたちさった。 - 中入-  そこで、その夜酒売の市人が同向をしていると、かの男の亡霊が現れて同向を喜び、友と酒宴をして愉しんだ昔の思い出を語り、虫の音に講じて舞を舞ったが、暁に名残を惜しみながら姿を消すのである。虫の音の情趣をば亡友を思う哀情に結びつけたもので、亡霊が昔の思い出を懐かしがるという構想にして、物哀れな情趣の強化を図っている。酒と結びつけたのは、虫の音を聞く場合にも酒がつきものであった当時の慣習に因る物であろう。                           # f 5ead3 

“2023(R5)
12月
 

9日

23日
(土)
 

 メンバー : (w4 . m3 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
 
9日(土) 6 名 ・23日(土) 3 名  「
清経」 を 8ページ(6行目)古の事ども語って・・・ ~12ページ(2行目)  一筋に思ひ取りあじきなや。 レベル3 級 2番目あって謡っていてもかなり難しい。
        次回の例会は、、令和6年1月13日or 27日(土) 10:00~

“2023(R5)
11月
 

11日

25日
(土)
 

 メンバー : (w4 . m3 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
 
14日(土) 6 名 ・25日(土) 5 名  「
清経」 3 分 割して先ずは1回目 2回目をおさらい。 都落ちした平家    一門へ喪失感と絶望感に苛まれ、自ら死を選んだ清経の心情は、回想の形で語られます。
    
(本物の能舞台上では、張り詰めた緊張感のなか、地謡、囃子、と シテの舞とがお互いに、これら一連の情景を描写し合う      様子は圧巻だそうです)        次回は、12月 第2 の 9日(土)  第4 は 23日(土)

 清 経 (きよつね)  構想
 平清経の家臣淡津三郎は、清経が平家の前途に失望して豊前國柳が浦の沖で入水したので、形見の艶髪を持って都に帰り、清経の妻にそれを渡すと、妻は夫が入水した事を聞き、自殺した夫の心を怨み、悲歓となる形見の黒髪を手向け返して、涙ながらにまどろんでいると、枕元に清経の亡霊が現れて、形見を返した事を咎める。妻の方でも、夫が自ら命を捨てた事を怨み、互いに不仕合せな身の上を歎いたが、頓て清経は、滅亡の一途を辿って行った平家一門の運命と、自分が入水して死んだ時の事とを物語った後、死後に堕ちて行った修羅道の有様を見せたが、眞は入水の際に最後の十念を唱へた功力で佛果を得たのであると語って清失せるのである。清経の亡霊が入水当時の事を物語る處が中心であるが、定型的な修羅能になるのを避けて、妻の枕元に現れるといふ構想にし、形見の黒髪を妻が手向け返した事を枕許に現れる理由としている。この構想が原稿を多少作り変えたものである事は言うまでもない。                                                  # f 5ead3    

“2023(R5)
10月
 

14日

 

参加者 : 14日(土) 7名 (w4 . m3 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
    
「蝉丸」 役に分かれて謡い、仕上げとしたが、符号を理解できていなかったり、声のトーンを間違って
    いたりでさんざん!でした。上級者が居てこそのクラスを実感!諦めないで継続にも限界かと。上級者      に引っ張って頂きながら上達したい気持ちが芽生えてきた、と言うところ。
        
次回は、11月 第2 の 11日(土)  第4 は 25日(土)

“2023(R5)
9月
 

9日

 

参加者 : 9日(土) 7名 (w3 . m4 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
    
「蝉丸」 その4 回目。 11ページからおわりまで。 呼吸もだんだん浅くなって、変なところで息継ぎしなく    てはならなかったりするが、頑張ってテープに付いて何とか謡い切りました。
      
次回は、10月 第2 の 14日(土) 第4 の28日は駅前クリーンアップの為、 中止

“2023(R5)
8月
 
12日
(土)
22日

 
    8月12日は、お盆で お休み

参加者 : 22日(土) 7名 (w3 . m4 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
    
「蝉丸」 その2 回目。 7ページの後半から、11ページの後半まで。
    この暑さで、サロンの往復さえも厳しいこの頃、発声も難しい。
        
                次回は、9月 第2 の 9日(土) の予定 

“2023(R5)
7月
 

8日

(土)
22日

 
  参加者 : 13日・22両日 12名 (w3 . m4 )竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  8日(土) と 22日(土)
で 新しく 「蝉丸」 にはいりました。 ハンディを負う2人が逢坂山で出会い、お互いに      思いやりながら別れるという切なさ、やるせなさ、いとおしさに満ちて。 かつて謡った 「猩々」 を久振り
     におさらい。22(土)は、蝉丸の2 回目で7ページの後半まで。
    
        
次回の 8月12日は、お盆休み    第4 の 26日(土) は、定例通り 

 蝉 丸 (せみまる)  構想
 罪障消滅の為の叡慮とはいひながら、生来盲目の皇子を都離れた逢坂山に捨てるというのは、何といふ悲惨な事であろう。其処へまた姉宮が狂女の姿となって逢いに行かれる。不具な御姉弟の解后、然も何等明るい将来の希望もなく、そのまま空しく別れるのであるから、仮令その間に濃やかな同胞愛の掬すべきものがあるにしても、本曲は徹頭徹尾悲痛極まりなき悲劇である。然し、作者としては、恐らく高貴の身分と悲惨な運命とを対照せしめて、芸術的効果を狙ったものであろう。              # f 5ead3

“2023(R5)
6月
 

10日
(土)
24
(土)

 
  参加者 : 13日7名 (w3 . m4 ) 竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  10日(土) は 拠点 総会 により 休会

 
24日(土) 「野宮」 を通しておさらい。始めに全員で通して謡い、仕上げに役割に分かれて謡いあげる。
    
               次回の、7は 第2 の 8日(土) と 第4 の 22日(土)の予り。 


“2023(R5)
5月
 
13日
()

27日
(土)
 
  参加者 : 13日7名 (w3 . m4 ) 竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  13日(土) は、「野宮」 の 6p( 7行目 つらきものに・・・) ~9) 7行目 車やらん 迄)。
 
27日(土) は、前回に続き 「野宮」 の 10p( 1行目 いかなる車・・・) ~最終 12p( 家宅の門 迄)。
         この教本は、難度 レベル1 で非常に難しかった。
    次回は、 6 月10(土) は、 拠点 総会 により 休会
               次々回6 月24 (土) は予定 通 り。 


“2023(R5)
4月
 
8 日
()

22日
(土)
 
  参加者 : 22日7名 (w3 . m4 ) 竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  8 日(土) は 都合により 休会。
  22 日(土) は、「野宮」 の 2 回目(4-1pの4行目~6-2pの6行目迄)  かなり上級なのでゆっくりでは
     あるが中々難しい。
    次回は、 5月13 (土) 5月27 (土) の予定 。  
2  6/10 は、総会の為 休会。

 野 宮 (ののみや)  構想
 上洛中の廻国の僧が秋の末に野宮を訪れると、美しい女が現れ、九月七日の今日は、私が是處で密かに神事を行う日に当たっているから、早くお帰りなさいといふので、僧がその神事の謂はれを訊ねると、女はそれに答へた後、昔是處に居られた六條御息所である事をも告げて姿を消した。 - 中入- その夜僧が跡を弔っていると、物見車に乗った御息所の霙が現れ、賀茂の祭りの日に葵の上と車争をして辱しめられた事を語り、その妄執を晴らして下さいと頼み、邊りの風物を懐かしがって舞を舞っていられたが、軈て再び車に乗って立ち去られるのである。時を九月七日にしたのは勿論原拠に依るものであるが、この晩秋と言う貼に大きな意味がある。それは作者がここに重点を置き、人物と場所とをこの季節の中に融合させてるからで人物が失恋の上であり、場所が物静かな跡であるから、季節との融合が極めてよく出来ているのである。                         # f 5ead3

“2023(R5)
3月
 
11日
()

25日
(土)
 
  参加者 : 11日6 ・25日・6 (w 6 . m 6 ) 竹内 ・ 青山 ・ 遠藤 ・ 長 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本 敬称略
  11 日(土) は 「雲雀山」 の仕上げと言う事で、役割を決めて何とか始めから通しで謡う。
  25 日(土) は、「野宮」 の1回目(1p~4p-1の3行目迄) 源氏物語に材をとり、主人公は六条御息所で
     す。秋の嵯峨野の哀愁に満ちた風情の中、昔を懐かしむ御息所の深い切なさや、辛く悲しい恋の
     妄執と云った心のうねりを、優雅にしっとりと、そして品良く描いた曲といいますが、私たちの力でど
     こまで謡えるのでしょうか。
      次回は、 4月22日(土) の予定 。   
 4/8(土) は、都合により 休会。

“2023(R5)
2月
 
11日
()

25日
(土)
 
  11 日 参加者 5 名 (w 3 . m 2 ) 竹内 ・遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本        敬称略
     「雲雀山」 テープの後に続いて先ず一回目は (5-1 P の 3 行目 花召され候え まで) 習った。
 25 日 参加者 5 名 (w 3 . m 2 ) 竹内 ・ 遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本          敬称略
     「雲雀山」 テープの後に続いて2 回目、 (8-1 P の 4 行目 思へ桜色から~最後 まで) 習った。
     次回は、通しで、役割を担って謡う予定。
         次回は、 3月11日(土)  と 3月25日(土) の予定 。 4月は、4/8 or 4/22


“2023(R5)
1月
 
14日
()

28日
(土)
 
  14 日 参加者 5 名 (w 4 . m 1 ) 竹内 ・ 長 ・遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林       敬称略
     「楊貴妃」 のまとめ。 一度 通しで謡って、終わりに役に分かれて謡った。 
 28 日 参加者 5 名 (w 4 . m 1 ) 竹内 ・遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林 ・橋本      敬称略
     新しく雲雀山 テープの後に続いて先ず一回目は (5P の 3 行目まで) 習った。

     次回は、 2月 11 日(土) と 25 日(土)。 3月は、 11日(土) と 25日(土) の予定 。


 雲雀山 (ひばりやま)  構想
 横佩右大臣豊成はある人の語言を信じて、息女の中将姫を大和と紀伊との境にある雲雀山にやつて、其處で殺させようとしたが、命を受けた家来は、殺すに忍びず、山中に庵を作って密かに姫を匿まひ、また乳母の侍従は草木の花を里人に賣っていた。ある日侍従が里に出て行くと豊成が狩の為にやって来て侍従が狂人のような様子で、面白い事を云いながら花を賣っているのに出会い、 姫がまだ生きていて、その姫を養う為に一方ならぬ苦労をしている事を知り、先非を悔いている事の嘘でない事を神に誓ったので、侍従も安心して山中の隠家に豊成を連れて行き、親子を再会させ、豊成は喜んで姫を奈良の都に伴い帰るのである。人を集めて物を賣る為には、何程か気違いじみた言動をして人を面白がらせる必要がある。本曲は、花賣女のそうした様子を写そうとしたものであって、その花賣をしている原因に就いて、家庭悲劇的な脚色を施したのである。                  # f 5ead3

R5 ”2023  

“2022(R4)
12月
 
10日
()

24日
(土)
 
  10 日 参加者 6 名 (w 5 . m 2 ) 竹内 ・ 長 ・遠藤 ・ 池端 ・ 田中(千) ・ 小林       敬称略
     「楊貴妃」 (ようきひ) を分けて謡う。 
 24 日 参加者 4 名 (w 2 . m 2 )「楊貴妃」 (ようきひ) を分けて謡う。 これで楊貴妃は一通り謡ってきたの     で、次回は全曲通しておさらいの予定。 

      次年 1月 14 日(土) と 28 日(土) 、 2月 11日(土) と 25日(土) の予定 。


  楊貴妃 ( ようきひ)  構想
 唐の玄宗は、馬恢が原で殺された籠姫楊貴妃のことを忘れかけて、方士に魂狛の在虚を尋ねさせる。方士は天上から黄泉までも尋ね、更に常世の國蓮菜宮に来ると、その太眞殿に居ることが解ったので、其處に尋ねて来ると、貴妃は玉の莚をかかげて方士に会う。方士が、玄宗の歎きを傳へ、逢った証になる形見の品を請ふと、挿していた玉のかんざしを興へる。かういふ珍しからぬ品よりも、帝と密かに契られたお言葉が賜わりたいというと、貴妃はそれを尤もと思ひ、七夕の夜に交した比翼連理の契りの言葉を打ち明けたが、方士が帰ろうとすると、それを引き留めて、もとは上界の仙女であった身上について語り、虹渉羽衣の曲を舞って見せるやがて方士は簪を携へて帰り、貴妃は涙ながら太眞殿に留るのである。支那美人の代表的存在のように考えている楊貴妃をシテとし、平安朝時代から愛踊されていた長恨歌に基ずいて構想したものであって、玄宗の籠り姫であった気品のある濃艶さと、薄命の生涯に因る哀愁感とを狙ったものである。            # f 5ead3

“2022(R4)
11月
 
 8 日
()

22日
(土)
 
 12 日 参加者 6 名 (w 5 . m 2 ) 竹内 ・ 長 ・遠藤 ・ 池端 ・ 田中(千) ・ 小林   敬称略
   「善知鳥」 (うとう)」  第 2 回目 (P8 : 4まで) 謡う。 
 26 日 生きるために生き物の命を奪わなければならなかった人間の悲哀を謡っているとか、内容は厳しいも       のです。新しい本を3 回に分割しておさらいする。

    次回 12月 10 日(土) 24 日(土)     
1月は、14日 28日 の予定 

“2022(R4)
10月
 
 8 日
()

22日
(土)
 
 8 日 参加者 7 名 (w 5 . m 2 ) 竹内 ・ 長 ・遠藤 ・ 池端 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本  敬称略
   「善知鳥」 (うとう)」  第 2 回目 (P8 : 4まで) 謡う。 
22 日 生きるために生き物の命を奪わなければならなかった人間の悲哀を謡っているとか、内容は厳しいも       のです。新しい本を3 回に分割しておさらいする。

    次回 11月 12 日(土) 26 日(土)     
12月は、10日 24日 の予定 

  善知鳥 ( うとう)  構想
 越中の立山で禪定をした旅僧が山を下りて来ると一人の老人が現れて、陸奥え下られるのであったら、去年の秋に死んだ外の濱の猟師の家を訪れて、蓑笠を手向けるやうに傳へて下さいと頼み、證拠の為にと著てゐた麻衣の袖を解いて渡したので、僧はそれを引き受けて別れた。- 中入り - そこで旅僧は猟師の遺族を訪ねて、妻子に亡者の傳言を語り、蓑笠を手向けて回向をしてゐると、猟師の亡霊が現れ、娑婆で猟師を渡世とし、善知鳥を殺した報いで、今は却つて化鳥となった善知鳥に苦しめられてゐる地獄の様子を示し、僧の助けを求めて消え失せた。諸鳥の中でも親子の愛情の深いと云はれてゐる善知鳥やすかたを殺した為に、今は我が子にさへも近ずけない亡者の苦患を描いたり、所を辺鄙な立山や外の濱などにしたりしたのも、凄惨深刻な気分を表現する方法であったと思われる。   # f 5ead3


“2022(R4)
9月
 
 10日
()

24日
(土)
 
 10日 参加者 8 名 (w 5 . m 3 ) 竹内 ・ 青山 ・ 長 ・遠藤 ・ 池端 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本  敬称略
  「屋島」 を全員で通して謡い、休憩後は役を割り振って演じて謡う。

 24 日 参加者 6 名 (w . m ) 竹内 ・ 池端 ・ 長 ・遠藤 ・ 田中 ・ 小林   敬称略
  「屋島」 を演じて復習したのちは新しく 「善知鳥(うとう)」 第1回目に入る。
  屋島は回を重ねても、なかなか手に負えない。

    次回 10月 8 日・22 日(土) 
    11月は、12日と26日の予定

“2022(R4)
8月
 


27日
(土)
 
 13 日 お盆休み 

 27 日 参加者 6 名 (w . m ) 竹内 ・ 池端 ・ 遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本   敬称略
  「屋島」 の4分割した最後の部分を謡う。これで 「屋島」 をひと通り謡った事になる。 「井筒」 を
  一回通しておさらいして、終わる。  お盆があったので久し振りの発声で、息が苦しく感じた。

    次回 9 月 10 日・24 日(土)  
10月は、8日と22日の予定

“2022(R4)
7月
 
 9 日
()

23日
(土)
 
 9 日 参加者 7 名 (w 4 . m 3 ) 竹内 ・ 青山 ・ 長 ・ 池端 ・ 田中(千) ・ 小林 ・ 橋本  敬称略
  「屋島」 を区切っての練習 1回、「安達原」 も通して謡うが声が続かない 難しい。

 23 日 参加者 7 名 (w . m ) 竹内 ・ 青山 ・ 池端 ・遠藤 ・ 田中 ・ 小林・ 橋本   敬称略
  「屋島」 を区切っての練習 2 回、「安達原」 を更に通しておさらいするも、これ又、声が続かなか
  ったり、変化する早さに戸惑ったり、回数重ねても難しさを痛感するばかりです。奥深さを知らさ
  れています。

    次回 8 月 27 日(土)  
13 日(土)は、お盆休みとする  9月は、10日と24日の予定

 屋 島 ( やしま)  構想
 西国行脚中の都の僧が、讃岐国屋島の浦で、ある濫屋に一夜の宿を求めると、若い男と一緒に釣から戻って来た主の漁翁は、僧を都の人と聞いて懐かしがり、請じ入れた後、その所望に應じて、此處で源平が戦った昔の事を、義經の大将振り、惡七兵衛景清と三保谷四郎との綴引、佐藤継信の最期などに就いて語ったが、餘りに悉しい物語に僧が不審をなして、漁翁の名を尋ねると、義經の霊である事を仄めかして消え失せた。 - 中入 - 軈て、僧の夢の中に甲冑姿の義經が現れ、屋島合戦の際、波に流された我が弓を敵に取られまじと身を捨てゝ拾い取った次第を物語った後、修羅道に堕ちた為に、今もやはり戦いはねばならぬのであると、その戦の様子を示していたが、夜の明け行くと共に消え失せた。作者は、平氏に連勝した得意時代の義經を描かうとして、義經一の中で最も花やかな戦であった屋島の戦いを選んだのであろう。然も之を幽霊能に構成する事によって、懐古的情緒を横溢させ、元暦の昔に同じく三月頃の季節にして、西国の濱邊の春の夕暮から夜明けまでの季節的感覚を加えたのである。


“2022(R4)
6月
 
 11日
()

25日
(土)
 
 11 日 参加者 8 名 (w 5 . m 3 ) 竹内 ・ 青山 ・ 長 ・ 池端 ・遠藤 ・田中(千) ・ 小林 ・ 橋本  敬称略
  「安達原」 を最後まで謡いきりました。久し振りに皆と声を合わせて、シテ、ワキなどの役割に分か
  れて謡いきりました。
 25 日 参加者 7 名 (w 4 . m 3 ) 竹内 ・ 青山 ・ 長 ・ 池端 ・遠藤 ・ 田中(千) ・ 小林   敬称略
  「安達原」 の仕上げを通しておさらい。 後半、難しい言葉が続いたので四苦八苦する。
  新しく 「屋島」 の 第 1 回目の謡 を練習する。
      次回 7 月 9 日(土) 
 23 日(土) 「屋島」 の 2 回目と 「安達原」 のお浚いの予定。

“2022(R4)
5月
 
 14日
()

28日
(土)
 
 参加者 14 日の例会は、皆さんご都合が悪く急遽 休会 にしました。

 参加者 28日 7名 (w 4 . m 3 )  「安達原」 3 回目 を謡う。 「井筒」 も1回通して復習。
        次回 6月11日(土) と 25日(土) は 定例通り。
  
今後、謡の会は基本、第2土曜 と 第4土曜の午前中と決めて、何らかの事情によって、その日開催
   が難しくなった場合でも別の日程を設定    しないことを申し合わせました。 (完全に休みとする)

“2022(R4)
4月
 
 9日
()

23日
(土)
 
 参加者 9 日 7名 (w 4 . m 3 ) 
  新しく「安達原」 に入り小分けして。 1 回目、2 回目を謡う。
 
 参加者 23 日 7名 (w 4 . m 3 )  今回は、「安達原」 二回目 と 前回の 「井筒」を通して復習。
  ベテラン、上級者に引っ張って頂いて大分謡える様になりました。
     
次回 5月14日(土) と 28日(土) は 定例通り。  6月も11日と25日の両日定例予定

 安達原 ( あだちのはら)  構想
 廻国の旅に出た紀伊国那智の東光坊祐慶等の一行が、陸奥の安達原に来た時、行き暮れてある一軒家に泊めて貰うと、その家には老境に近ついた女が一人居て、所望に応じ枠かせ輪を持ち出して糸を操って見せたが、総て夜寒を凌ぐ焚火の薪を山へ採りに行こうとして、留守の間に閏の内を見たりなさるなと言い置いてから出かけた。 - 中入- その詞に不安を抱いた祐慶等は、隙間から閏の内を覗いて見ると、人間の死骸が累々として積まれているので。さては話に聞いていた鬼の棲家であったのかと、驚いて逃げ出す。それを感ずいた女は、鬼の正体を顕して追懸け、取って喰おうとしたが、祐慶等の懸命な祈りに負けて、終に姿を隠すのである。所は都に遠い陸奥、時は夜寒を感ずる秋の夜、人物は老境に近ずいた賊の女、その賊の女が儚い自分の生活に就いて述懐しながら糸繰りをする。如何にもしみじみとした寂腰感を狙った前段の構想であるが、これは後段に対して淋しさの極まった処に鬼が棲むという意味の説明にもなっている。       


“2022(R4)
3月
 
 26日
()
 
 参加者 6名 (w 4 . m2 ) 
 「井筒」 を最後まで謡きりました。久し振りだったので声がなかなか出にくかった。でも、シテ、ワキ
などの役割に分かれて謡いあげました。

  
        次回 4月9日(土) と 23日(土) は 定例通り。

 コロナウイルス(オミクロン株)感染拡大予防の為、2月 3月前半休会 と致します。

“2022(R4)
1月
 
 8日
()
 
 参加者 7名 (w 5 . m2 ) 
 「井筒」
 新年になってから初めての会。このまま継続出来たら良かったのですが、新たに変異株オミクロン
によって、またしばし中断。少しでも早く再開できることを願うばかりです。

  
        次回 2月12日(土) と 26日(土) は  中止
         (オミクロン株の感染状況によっては、変更の可能性もあり)

R4 ”2022  


“2021(R3)
12月
 
 2日
()

22日
(水)
 
 参加者 両 日で 15名 (w 9 . m 6 ) 
  新しく「井筒」 に入り分割しておさらい。 いつも新しい教本に入るときは難しいと感じてしまう。

次回は、基本に帰り 一回目は 令和4年 1月 8日(土)、二回目は 1月22日
)。10:00~ 予定。

今年はコロナに惑わされましたが、最後の 「謡の会」 も2 回とも実施する事が出来ました。
  新年も良いスタートで始められるように祈るばかりです。 一年間、大変お世話になりました。
    来年も宜しくお願いします。                       - 小林 令子 -

 井筒 ( いずつ)  構想
 廻国の僧が南都から初瀬に赴く途中、石上の在原寺に立ち寄ると、一人の女が来て庭井の水を汲み、其處にある塚に手向けるので、不審に思い言葉を掛けると、これは業平の塚だから弔うのですと答へ、更に問われる儘に、昔この所で紀有常の女と契った業平が河内の国高安の女の許にも通った時、「風吹けば」の歌を詠んで有常の女が真心を示した事や井筒の傍で一緒に遊んだ子供の時の事を詠みかはして夫婦になった事などを語り、実は私が井筒の女のとも呼ばれたその有常の女なのですと言って、井筒の陰に隠れた。- 中入- その夜僧の夢に有常の女が現れ、業平の形見の直衣を着て舞を舞ひ、井戸の水に姿を映して業平の面影を懐かしがったりしたが、明け方になって、夢は覚めるのである。前段では、業平の妻であった女に夫との和やかな恋物語をさせ、後段では、移り舞によって懐古の情けを強調させている。井筒の利用も原拠に基くものである古寺の秋景色の中の井筒の情趣は、しみじみした気分を添える手段となっている。


“2021(R3)
11月
 
13日
(土)

27日
(土)
 
 参加者 両 日で 15名 (w 9 . m 6 ) 
   「海士」 を分割しておさらい、そのあと全体を通して謡って、最後にシテ、ワキなどの役割に
   分かれて謡いあげた。
        次回は、2021年(R3)  12月 は、 2 日
と 22 日 ()、 10:00~ 予定。 
       
 ※ 12月は諸事情で大きく予定変更します。




“2021(R3)
10月
 
9日
(土)

23日
(土)
 
 参加者 両 日で 14 名 (w 9 . m 5 ) 
   「海士」 を小分けして、2 回目、3 回目をおさらい。相変わらず緩急についてゆく大変さに、
   皆で苦笑しながら楽しく学びました。今月の23日からは、他の処で勉強されていた遠藤淳子さん
   が、新しく参加して下さって、一同心強く感じて大歓迎!

        次回は、2021年(R3)  11月 は、 13日
と 27 日 ()、 10:00~ 予定。 
            12月は、他 事情が重なり  第1週の 4日と 第3週の18日に変更します。
              
 ※ 基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


“2021(R3)
9月
 
11日
(土)

25日
(土)
 
 参加者 両 日で 11 名 (w6 . m 6 ) 
  11日は「百萬」 シテ、ワキなどの役に割り振って仕上げ。 25日は新しく 「海士」 に入り、一回目
  「海士」 は初回なので緩急のスピードに戸惑う。

        次回は、2021年(R3)  10月 9 日
と 23 日 ()、 10:00~ 予定。 
              
基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


 コロナウイルス感染予防、8月 は 「緊急事態宣言」 延長 に依り 休会

 海 士 ( あ ま)  構想
 藤原房前が、自分の母は讃州志度の浦で死んだ海女であると聞き、その追善の為に支度の浦に下りると、そこへ一人の海女が来て、唐の高宗の妃になった淡海公の妹が、氏寺の興福寺に三種の賽を送った所が、その中の明珠をこの沖で龍宮の者に取 られたので、淡海公は身を扮してこの浦に下り、海少女と契って一人の子を緒けたが、かの珠を取り還す事が出来たらこの子を世継にして貰ふといふ約束で、女は命を懸けて海底の入り、遂に明珠を奪い返したといふ話を物語ったが、実は私が貴方の母であるその海女なのですと告げ、回向を乞うて波の底に消え失せた。- 中入- そこで房前が追善供養をしていると、母の海女は龍女となって姿を現し、法華経の効力で成仏の出来た事を喜び、この所はまた志度寺と號して、仏法繁昌の臻地となったのである。海女が明珠を取り還した時の様子を真似て見せる「玉の段」を中心に構想したもので、命を捨てゝの冒険も子への愛に因るものとして、「玉の段」 の前後でその説明をしている。
  


“2021(R3)
7月
 
10日
(土)

24日
(土)
 
 参加者 両 日で 10 名 (w 4 . m 6 ) 
  10日or 24日  「百 萬」 2 回目、3 回目 を皆さんと 発声を一同にして謡詩を繰り返すも・・
 中々の難しいレベルで優越感が得られない。 例会の後半、2名が体調不良で不参加だった為
  尚更、発声量に寂しさを感じた。 この先、一寸心配なのはコロナ陽性者が大阪でも増え、
 再び 「緊急事態宣言」 が 8月一杯 発令され活動が心配される。
        次回は、2021年(R3)  8月14日
と 28日 ()、 10:00~ 予定。 
              
基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


“2021(R3)
6月
 
26日
(土)
 
 参加者 両 日で 6 名 (w 3 . m 3 ) 6月は後半のみ
 6月26日 新しく 「百 萬」 に入る 分けて、1 回目 今回は難しいレベルのようです。
 コロナウイルス感染拡大を避けて活動を休止し、4月以来およそ2ヶ月ぶりの発声だった、
 難しさもひとしおでしたが、集まってお稽古できた喜びも感じました。
        次回は、2021年(R3)  7月10日
と 24 日 ()、 10:00~ 予定。 
              
基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


 コロナウイルス感染拡大予防の為、5月、6月前半 は 「緊急事態宣言」 発令 に依り 休会

 百 萬 ( ひゃく まん)  構想
大和國吉野の男が、南都西大寺の辺りで拾った少年を連れて、山城の嵯峨の大念佛に参ると、一人の狂女が来て、念佛の音頭を取り狂った後、佛前に参り、我が子に逢はせ、狂気を止め給へと祈る。それを見た少年が、我が母である事を連れの男に告げたので、狂女に、生國や狂亂の理由を尋ねると、奈良の都の百萬といふ者で、唯一人の子に生き別れ狂亂となったのだと答へる。男それを憐れに思ひ、信心に私がなかったら逢えまいものでもないと言ふと、では法楽の舞を舞はうと云って舞ふうちにも、子供を尋ねて迷ひ歩いた様子を見せ、狂いなどしたのであるが、その舞の後で、少年に會はせてやると、夢かと驚き、これも法の力であると喜んで共に故郷に帰った。毎年春の頃に行われた嵯峨の大念佛は、陽気な季節でもあり、人も多く集まって、賑やかであったに違ひない。その群衆を背景に一人の狂女を點出して、大念佛の浮かれた気分を、狂女の狂亂に融合させて表現したのであろう。  


“2021(R3)
4月
 
10日
(土)

17日
(土) 
 参加者 両 日で 12名 (w 6 . m 6)
 10日or 17日  「殺生石」 を最後までおさらいし、 ワキ、シテ、に分かれて謡う。謡う速さに変化
   があって、難しい。
        次回は、2021年(R3)  5月8日
と 15 日 ()、 10:00~ 予定。 
              
メンバーの都合に依り 2 回目は、第3土曜日に急遽変更しました。
                   基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


“2021(R3)
3月
 
13日
(土)

27日
(土) 
 参加者 2 日で 12名 (w 6 . m 6)
 13日or 27日  新しく 「殺生石」 少しずつ分けて始める。 新型コロナウイルス感染予防の為、
  自粛していたが、大阪府の 緊急事態宣言も解除されたので、感染に注意しながら再開した。            久し振りだったので 新しい本だったが気持ちよく謡えたと思う。
     次回は、2021年(R3)  4月10日
と 17 日 ()、 10:00~ 予定。 
              
メンバーの都合に依り 2 回目は、第3土曜日に急遽変更しました。
                   基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


 殺生石 ( せっしょうせき)  構想
 玄翁といふ道人が 奥州から都へと志し、下野の那須野が原まで来ると、一人の女が現れ、其處にある石は恐ろしい札生石だから近寄りなさるなと注意したので、その謂はれを訊ねると、昔鳥羽院に仕えていた玉藻前が化生の身を看破られ、その後この原の草の露と消えたが、その執心が残って石となったのですと語り、私はその石魂であると告げて、石の中に隠れた。 - 中入- そこで玄翁が石靈に引導を授けると、石は二つに割れて石魂が野干の姿で現れ、玉藻前となっていたのを看破られたので、野干しの本体を露し、逓れてこの野に隠れ棲んでいた所を、三浦介・上總介に退治られ、残る執心が殺生石となって、今まで人の命を取って来たが、あり難い供養を受けたから、以後は悪事を爲すまいと誓って、消え失せるのである。シテが殺生石の傳説を物語るところに中心を置き、それを前後二段に分けているが、前場では、女姿であるから玉藻前時代の事を、後場では、野干し姿であるから兩介に退治られる時の事を物語るやうに、脚色せられている。 

 コロナウイルス感染拡大予防の為、1月、2月 は 「緊急事態宣言」 発令 に依り 休会

R3 ”2021  


“2020(R2)
12月
 
12日
(土)

26日
(土) 
 
    12日or 26日 も 3月~5月 と 同じく
 「コロナ感染拡大予防の為」 自粛し 休会 とする。


“2020(R2)
11月
 
14日
(土)

28日
(土) 
 参加者 2 日で 12名 (w 6 . m 6)
 14日or 28日:  「鵜飼」 通 しで習った後に、役割に振り分けておさらい。繰り返せば返す程
             難しさがこたえますが、だからこそのやり甲斐とも言えるのかなと思います。
            次回は、2020年 12月12日
と 26 日 ()、 10:00~ 予定。 
                   基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


“2020(R2)
10月
 
10日
(土)

24日
(土) 
 参加者 2 日で 10名 (w 6 . m 4)
 10日or 24日: 新しく 「鵜飼」。亡くなった者が生前の罪業を懺悔するために鵜を使って見せる、
           と言う構想ですが、先ずは通して終わりまで謡いました。
        次回は、2020年 11月14日
と 28日 ()、 10:00~ 予定。 
                   基本は、第二、 第四 土曜日 10:00 から。


“2020(R2)
9月
 
12日
(土)

26日
(土) 
 参加者 2日で 10名 (w 6 . m 4)
 12日or 26日:  「班女」 全曲通しで謡い、シテ・ワキ などに分かれて2回謡う。 全員でそろって
           謡っている間は何とか付いて行けているような気がしているが、役割に分かれてし
           まうと途端に力の無さに愕然とする。
    次回は、2020年 10月10日
と 24日 ()、 10:00~ 予定。 
                       基本は、第2・第4 土曜日。


 鵜 飼 ( う かい )  構想
 安房国清澄の僧が甲州行脚に出かけ、石和川の畔の堂に泊まっていると、鵜使の老人が鵜を休める為に其処に立ち寄ったで、この老人を見た従僧が、二三年前に私をを接待してくれた鵜使に似ているがと言うと、老人は、その鵜使は禁猟を犯した為殺されたと語って 、自分がその亡者である由を告げ、罪障懺悔の為に鵜を使って見せた後消失する。 - 中入- そこで僧が 法華経の文句を一石に一字ずつ書きつけそれを川に投げ入れて回向をすると、閻魔王が現れ、かの鵜使は厳しい罪業の為に地獄に堕ちる筈であったが、僧接待の功徳により極楽に送られる事になったと告げ法華経の徳を讃えるのである。鵜飼の情景の演出が構想の中心をなすもので、亡者が生前の罪業を懺悔する為に鵜を使って見せるという構想にしている。然も前段にその場面を入れたので、後段では鵜使の代わりに閻魔王を登場させたのである。所を石和川としたのや僧接待の話などは何かの傳説に携わったものであろう。なほワキの僧が日蓮であることを仄かしている。

“2020(R2)
8月
 
8 日
(土)

22日
(土) 
 参加者 2日で 11名 (w 6 . m 5)
 8日:  「賀茂」 役割で謡う。 新しく「班女」 の2 回目。
 22日:  「班女」 の3 回目と 全曲通しで謡い、難しいところをピックアップしておさらい。
    次回は、2020年 9月12日
と 26日 ()、10:00~ 予定。 
      基本は、第2・第4 土曜日。


“2020(R2)
7月
 
11日
(土)

25日
(土) 
 参加者 2日で 13名 (w 8 . m 5)
 「草子洗小町」 を役割で演じ、通して 「賀茂」 を通してお浚い。 新しく「班女」の1回目。
 遊女の一途な恋心を扇にからめて描き出す、情趣に満ちた作品、と言う事ですが・・・・
   次回は、2020年 8月8日
と 22日 ()、10:00~ 予定。 基本は、第2・第4 土曜日。


 班 女 (はん じょ )  構想                                          
 美濃国野上の宿の遊女花子は、東国に下る途中立ち寄った吉田少将と契ってから、形見に取り交わした扇に眺め入って引籠り、外の客に逢おうとしなかったので、終に宿の長に追い出されてしまふ。- 中入- その秋、東国から戻り道の吉田小将は、野上の花子を尋ねたが、居なかったので、そのまま都に帰り。糺の賀茂の社に参詣すると、狂女になった花子が来て、神に祈願を捧げる。それを見た少将の供人が狂って見せよと云ふと、無情なことを仰有るなと言って、思慕の情けの切なさを述べるが、次第に心が乱れて、終に形見の扇を探って狂ほしく舞う。然しその扇の為に花子であることが判り、少将は花子と夫婦の契りを結ぶことになる。地方の女が都の貴族に寄せる思慕の情けを哀れに優しく描こうとした曲で、その手段として扇を使い、秋扇の情趣を利用したのである。また野上の遊女としたのは、古典文学にこの宿の遊女のことがよく記されていたからであろう。                          

“2020(R2)
6月
 

27日
(土)
 
 参加者 当日のみで 5名 (w 4 . m 1)
 蜜室を避け、サロンの ドア-は開け放って換気に注意しながら 3ヶ月ぶりのさいかいでした。
 「草子洗小町」 を通して復習と 「賀茂」 を 分割しておさらい。
 次回は、2020年 7月11日
と 25日 ()、10:00~ 予定。 基本は、第2・第4 土曜日。



 コロナウイルス感染拡大予防の為、3月、 4月、5月 は活動自粛に依り 中止


“2020(R2)
2月
 
8日
(土)

22日
(土) 
 参加者 両日で 15名 (w 10 . m 5)
 「草子洗小町」 シテ・ワキ・ツレなどの役割に分かれて謡う。自分の役割を謡う時より他の人が謡ってるのを聞くほうが、内容も謡い方もよくわかる気がする。「賀茂」 全体を幾つかに分けておさらい。
 次回は、 2020年 3月は、14日
と 28日 ()、 10:00 からの予定。  基本は、第2・第4 土曜日。


“2020(R2)
1月
 
11日
(土)

25日
(土) 
 参加者 両日で 15名 (w 10 . m 5)
 「小鍛冶」 「草子洗小町」 「賀茂」 習う項目数がかなり増えてきたように思ったら、竹内先生によると 今回で100回目という。そんなに重ねてきた感がないことにも驚かされる。 今年に入っての トップニュースは、池端さん長さんのお知り合いの 岡田さんの加入!ナルクにも入会!彼女たちは既に勉強されて来られた方なので心強く嬉しい限りです。   次月は、 2020年 2月は、8日
 と 22日 ()、  10:00 からの予定。
   〇 「草子洗小町」 「賀茂」 と、以前に習った 「猩々」 を 100 回記念 として 改めて謡う予定。

 賀 茂 (か も)  構想 
 播州室の明神と御一體の京都賀茂の社に参詣すると、川邊に新しい壇を築き、それに白羽の矢が立てゝあるので、折から水汲みに来た女にその謂れを訊ねると、昔泰の氏女といふ者が居て、朝夕この川で水を汲んでいたが、或時川上から白羽の矢が流れて来たので取って帰り、庵の軒にさして置いたところ、思はず懷胎して男子を生んだが、その子が即ち別雷の神であって、その母や矢と共に賀茂三所として祀られるようになったのであると語る。そうして女は水を汲んでいたが、軈て自分がその神であることを告げて消失せる。 - 中入 - やゝあって、女體の御祖の神が現れて舞を舞っていられると、更に別雷の神も出現し、五穀成就国土守護の誓を示した後立ち去られるのである。所が加茂川の傍らであり、神が別雷の神であり、然も典拠が水に深い縁を持っているので、季を夏にし、爽涼の季感を狙っている。前段のシテを水汲み女にしたのも、典拠に基づく自然な思いつきであるが、これも季感を助けている。
 


R2 ”2020  


“2019(R1)
12月
 
14日
(土)

28日
(土) 
 参加者 両日で12名 (w 4 . m 3)
「小鍛冶」 を ワキ と シテ に分かれて謡う。 新しく 「草子洗小町」 に入り、小分けしてテープの後について謡う。内容が少しでも解ると、奥深いものだと、学ぶ意欲がますようなきがする。   2020年 1月は、 11日
   と 25日)、 いずれも  10:00 からの予定。
   〇 11日は、「小鍛冶」 の 最終おさらいと 「草子洗小町」 の 3 回目の予定。
   〇 25日は、新しく 「賀茂」 に入り、以前にやった 「猩々」 を改めて復習の予定。

“2019R1)
11月
 
9日
(土)

30日
(土) 

 
参加者 両日7名 (w 4 . m 3)
「杜若」 を シテ と ワキ と に分かれて謡う。 少しは形になったのか? 「小鍛冶」 のおさらい。速さの変化があって 付いて行くのがとても難しい。 後半からは、 新しく 「草子洗小町」  に入った。
        12月は、14日
 と 28日)、 いずれも  10:00 から


  草子洗小町 (そうしあらいこまち )  構想 
 内裏の御歌合で小野小町の相手と決まった大伴黒主は、到底勝てないと思って、その前日、小町の家に忍入り、小町の詠歌を聞き得たので、万葉集に入れ筆し、その歌を古歌と偽って勝とうと企てる。 - 中入- さて翌日の御会の席で、貫之が小町の歌を読み上げると、黒主が、それは万葉の古歌だと言うので、驚いた小町が證拠を求めると、万葉の草子を出して示す。然し、小町はそれを入れ筆と見破り、勅許を得てこの草子を洗うと、その歌の文字が消失せたので、面目を失した黒主が自害をしようとする時、小町はそれを支え、歌道に熱心な余りの間違いだからと言って慰め、舞を舞うて、御代の長久を祝い、和歌の徳を讃へるのである。若い頃の美しい小町を シテ とするのが、本曲第一の目的であったと思われる。季を春にしたのも、優艶な小町の美に適合させる為であり、又小町は六歌仙の一人であったので、御歌合を採り入れたり、同じく六歌仙の一人であった黒主や、六歌仙を論じた貫之をも出したりしたのである。

“2019R1)
10月
 
12日
)
22日
(火) 
 台風19号の襲来により  中止 
 
参加者 6名 (w 4 . m 2)
「杜若」 「小鍛冶」  「杜若」 を ワキ と シテ に分かれて謡う。 シテ の量がだんぜん多くて シテ は大変だった。謡は文学の要素、歴史の要素など多くのものが含まれていて奥が深く、かなり高度な物に挑戦していることを実感し合う。更に上を目指して継続あるのみ!  
   来月は、 11 月 2 週目の 9 日( と 5 週目の 30 日(、夫々 10:00 から
      「杜若」 を シテとワキに分かれて謡い、 他 「小鍛冶」を謡う予定。

“2019R1)
9月
 
14日
)
28日
(土) 
 
 参加者 両日共 5名 (w 2 . m 3)
「杜若」 「小鍛冶」  「小鍛冶」 が増えてみな「難しい」 を連発。いろいろな事情で、欠席者が重なってしまった月でした。   来月は、 10 月 12 日() 10:00 から と 28日(
) は、クリーンアップ と 重なる為、
   10 月 22 日(火) 14:00 から 「杜若」 と 「小鍛冶」 。



  小鍛冶 (こかじ )  構想 
 不思議な御夢想を受けさせられた一條院は、橘道成を勅使として三條の小鍛冶宗近に御劔を打つべしと命ぜられた。宗近は、御劔を打ち奉る為には自分に劣らぬ程の者が相槌に必要であると思ったが、適当な者が居ないので、この上は奇特を頼むより外はないと思ひ、氏の神である稲荷明神に祈願のため参詣すると、一人の童子が現れて、君の御惠みによって御劔は必ず成就するであろうと安心させ、更に和漢に於ける劔の威徳を語つた後、通力の身を変じて力を添えようと言って稲荷山の方へと消失せた。 - 中入- そこで、宗近は帰宅して壇に上り、壇の四方に祀った本尊に祝詞を捧げると、稲荷明神が出現して相槌を打たれ、打ち上げた劍を小狐丸と名づけて勅使に捧げ、再び稲荷山に帰られるのである。刀鍛治の苦心を取り扱って、それに名劔の奇端を結びつけたものである。稲荷明神のことは、伝説や小狐丸からの著想であろう。前段では劔の威徳を語るところに、後段では劍を打つ場面にそれぞれの中心を置いている。                                           

“2019R1)
8月
 
7 日
(水)
24 日
 (土) 
 参加者 6名 (w 3 . m 3) 「船辨慶」 「杜若」。「船辨慶」 をシテ・ワキなどの振られた役割で全編謡う。上手な方に必死について謡い、汗だくでした。 「杜若」も少し内容が呑み込めてきた・・・かも
                             次回は、 8月 24 日(土)
 参加者 6名 (w 3 . m 3)「船辨慶」 「杜若」。「船辨慶」 をシテ・ワキなどの振られた役割で全編謡う。上手な方に必死について謡い、汗だくでした。 「杜若」も少し内容が呑み込めてきた・・・かも
                     次回は、 9 月 14 日()  次々回、9月 28日(

“2019R1)
7月
 
13 日
)
20 日

(土) 
 参加者 6名 (w 3 . m 3) 「船辨慶」 「杜若」     二つとももっと繰り返しお浚いしないとしどろもどろ。
少し体調が悪かったりすると直ぐに発声に影響が出るものだと、実感する頃です。
                             次回は、 7月 20 日(

 参加者 4 (w 2 . m 2)「船辨慶」 「杜若」     二つとももっと繰り返しお浚いしないとしどろもどろ。
少し体調が悪かったりすると直ぐに発声に影響が出るものだと、実感する頃です。

     
来月は、大きく変則的になり  8月7日(水) 14:00~  8月24日) 10:00~


 杜若 ( かきつばた )  構想 
 廻国の旅僧が三河国で澤邊に美しく咲いている杜若を眺めていると、1人の女が来て言葉をかけたので、僧が所の名を訊ねると、是處は杜若で有名な八橋ですと答へ、伊勢物語にある在原業平の杜若の歌に就いて語った後、僧を自分の庵に連れ帰る。そして、美しい冠と唐衣とを着け、これを見て下さいと言うので、僧がその澤を訊ねると、これが業平の歌にある唐衣であり、冠は會て業平が召されたものですと答えたので、怪しんでこの女の素性を訊ねると、実は杜若の精ですが、業平は歌舞の菩薩の化現でありますから、その詠歌のお陰で、非情の杜若も成仏できたのですと言ひ、なほ伊勢物語について語り、舞を奏した後消失せるのである。仏教思想に基づいて非情の草木を人格化した曲の一つであるが、美しい杜若の花といふ所から、妙齢の美人として表し、然も伊勢物語にある冠唐衣によって、美しさの強調を企てた。中心は、伊勢物語の事を述べるクセであるが、物語の作者と称せられた業平の讃美も、本曲に於ける重要な要素である。  

“2019R1)
6月
 
8 日
(土)
19 日

 (水) 
 参加者 6名 (w 3 . m 3) 「船辨慶」「 高砂」 「杜若」。 高砂は思っていたよりかなりハード
                             次回は、 6月 19 日(

 参加者 6名 (w 3 . m 3)
  次回は、 7 月 13 日()  次々回、7月 20日(水)
ナルクの行事がある為日程調整の結果第3土曜日になる

“2019R1)
5月
 
11日

・25日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3) 「高砂」 のお浚いをしました、めでたい席での謡なので真剣に習う。。
  新たな謡 「船辨慶」 を習い始めた、これも長く難しい。今回からベテランさんが加わった。
                             次回は、 5 月 25 日(

 参加者 7名 (w 4 . m 3) 新しく仲間が増えて大歓迎! しかも熟練者の加入で全体の レベル
  が急に上がって行くような気がします。 「高砂」 と 「船辨慶」
  次回は、 6 月 8 日(
)  次々回、6月19日(水) 
クリーンアップと重なった為、この週のみ変更  


 船辨慶 ( ふなべんけい )  構想 
 源義經が、兄頼朝の疑いを解かんが為に、辨慶その他の家来を従へ、都から摂津尼ケ崎の大物浦まで落ちて来た時に時に、辨慶は静御前がついて来たのを知って、今のような場合に、静を同道されるのは似合はしくないと諌め、義經も同意したので、静の宿を訪ねてこの事を言ふと、静は辨慶の一存から出たものと誤解し、義經の所に行くと、義經からも都に歸ることを勸められる。止むなく別離の酒宴で別れを悲しみながら舞を舞ったが、終わりに思い切って別れて徃く。- 中入- その後で、義經は船出をえんきしようとしたが、辨慶は押し切って出船させ、暫くは無事であったが、俄に風向きが変わり、船が荒波に揉まれると、不思議や海上に西國で亡びた平家一門の怨霊が現れ、中にも知盛の幽霊が義經を海に沈め斬つてかかるのを、辨慶は數珠を押し揉んで祈り退けんとし、終に怨霊の方が負けて、引く汐と共に跡知れず消え伏せた。前半には悲哀美、後半には凄荘美がある。作者もそれを狙ったのであろう。 

“2019H31)
4月
 


 
13日

・27日

 (土) 
   元号が変わって、世の中が明るく元気になれば良いですね。
                作っただけで忘れてしまわないように、報告書を送ります。

 参加者 7名 (w 4 . m 3)
 「小督」 のお浚いと 「高砂」。習う前から、おめでたい席で謡われる
                 「高砂」の題名だけは耳にしていたが、これほど長く難しいものとは
 参加者 7名 (w 4 . m 3)      知らなかった。
   
      次回は、令和 元年 5 月 11 日()  と  次々回は、 5 月 25 日()  


 高 砂 ( たかさご )  構想 
 時は春の初、所は播州高砂の浦。その浦にある高砂の松の木陰を、共に白髪の老人夫婦が来て掃き清める。都に上る途中この浦に立ち寄った肥後国阿蘇の宮の神主友成は、この夫婦を見て、高砂の松というのはどの木かと尋ね、さらに国を隔てた高砂の松と住吉の松とを相生の松という訳や、高砂の松のめでたい謂れなどに就いて訊ねると、夫婦は、故事などを引いて詳しく答えた後、実は私共がその相生の松の精であると打ち明け、住吉でお待ちしましょう。と言って、夕波の寄する汀にあった小舟に打乗って沖の方へ消え失せた。-中略- そこで友成も舟で住吉へ行くと、月下に住吉明神が影向されて神舞を舞ひ、御代万歳・国土安穩を祝はれる。季節は春の初であって、長閑な気分があり、又常に変わらぬ緑の色を見せ、然も千年の齢を保つと言う松を象徴した老人夫婦には夫婦仲の変わる事もなく、共に長寿を保つと言うめでたさがあり、住吉明神の姿には風爽たる威厳がある。

“2019H31)
3月
 
 9日

・30日

 (土) 
  - - - - - - 両日共、 活動報告 なし
   
      次回は、平成31年 4 月 13 日()  と  次々回は、 3 月 27 日()  

“2019H31)
2月
 
 9日

・23日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3)    「田村」 「小督」 役柄を割り当ててお浚い。
 テープ音のリードなしで役割を謡うと、上手に出来ない部分がはっきりして、まだまだお浚いが
 足りないことを嫌と言うほど実感させられる。
   
      次回は、平成31年 3 月 9 日()  と  次々回は、 3 月 30 日()  

“2019H31)
1月
 
 12日

・26日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3)    「田村」  「小督」  
 「田村」 の復習 繰り返すことで内容もだんだん解ってくる気がする。 
  「小督」 の 2 回目・3 回目。 2 時間たっぷり謡うと へとへとになる。
   
      次回は、平成31年 2 月 9 日()  と  次々回は、 2 月 23 日()  


H31 ”2019  


  小 督 ( こごお )  構想 
 高倉院の御寵愛を得ていた小督局は、中宮の太政大臣の女であったので、その勢戚を憚り、姿を隠して憚った。院は御嘆きの餘り、嵯峨野の邊にいるらしいといふ小督局の行方を尋ねさせる為に、勅使を弾正大粥仲国の処に遣わされ、仲国は勅を奉じて、寮の御馬に跨って急いで出かける。 -中入り - 嵯峨に隠れ住んでいる小督は、折からの八月十五夜に、琴を彈じて心を慰めていたが、その想天戀の曲によって、彼方此方を訪ね廻っていた仲国がそれと知り、会うまいとするのをやっと内に入れて貰い、院の御文を渡して返事を乞ひ、小督が涙ながらに認めた御返事を受け取って帰ろうとすると、小督は名残を惜しんで酒を勧め、仲国は舞を舞って小督を慰めた後、胸に誇って帰って行くのである。原虚に基づき、仲国を中心として構想しているが、主な狙い処は名月の夜に於ける嵯峨野の辺の情趣であって、琴の音が効果的に使われ、また駒に誇って訪ね廻る仲国の様子も、その情趣を一層複雑化している。

“2018
(H30)
12月
 
 14日

・28日

 (土) 
 参加者 6名 (w 3 . m 3)    「東北」  「田村」  
 東北と田村をシテとワキを3人ずついに分かれて謡った。
   
      次回は、平成31年 1 月 12 日(土) と  次々回は、 1 月 26 日(土)  

“2018
(H30)
11月
 
 10日

・24日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3)    「東北」  「田村」  
 東北は 通してお浚い。 曲は長いが だいぶ声が出せるようになったきた実感がある。 田村もかなり長い、
 どれも内容は 面白そう。
   
次回は、 12 月 8 日(土) と  次々回は、 12 月 22 日(土)  

“2018
(H30)
10月
 
 13日

・20日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3)    「東北」  「田村」  
 「東北」 と 新しく「田村」 東北は 曲が長いので小分けしてお浚いするも、終わりまで行くとへとへとになる。   「田村」 も かなり長い曲ですが 内容は大変面白そう。
   
次回は、 11 月 10 日(土) と  次々回は、 11 月 24 日(土)  

“2018
(H30)
9月
 
 9日

・22日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3)   「猩々」  「東北」  「紅葉狩り」  
 「猩々」 は大分謡えるようになってきた感がある。 「東北」 を役割で謡う。
 全員で通して謡うより少し謡いやすい。 人数が増えたことで ますます頑張れるような気がする。
   
次回は、 10 月 13 日(土)   10/27は、クリーンアップと重なってしまうので検討中 【10:00から 】 

“2018
(H30)
8月
 
 11日

・25日

 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3) 「猩々」 「東北」 「紅葉狩」 テープに合わせて1回、テープなしで1回お浚い。
少し慣れてきたが、どの謡曲も通して謡うのは厳しい。 分けてお浚いする方が気持ちも体力も楽かなと思う。
    
 次回は、 9 月 8 日(土) と 22日(土)  【 基本は、第二、第四土曜日、10:00から 】 

“2018
(H30)
7月
 
 14日
 (土) 
 参加者 7名 (w 4 . m 3) 新しく 2 名 の方が参加してくださって、 久々に賑やかに楽しく「猩々」 と 「東北」 をお浚いしました。
     
             次回は、 7 月 28 日(土) 10:00~
 28日
  (土)
 参加者 7名 (w 4 . m 3) 新メンバーと共に 「猩々」 と 「東北」 を シテ ・ ワキ 3人ずつに分かれて練習。流石に2人増えたことにより賑やかで楽しい。        
          
次回、 8 月11日は、「猩々」 と 「東北」 と 「紅葉狩」 を お浚いする予定。



“2018
(H30)
6月
 
 9日
 (土) 
 参加者 5名 (w 2 . m 3) 「猩々」 をお浚い。役割を決めて、一人づつテープ無しで練習。 繰り返す程にむつかしさを実感するが、謡う面白さも少し感じられるようになってきたかと思う。「東北」 をとうしておさらい。
     
次回は、 6月23日(土) 10:00~
 23日
  (土)
 参加者 5名 (w2 . m 3) 「猩々」 をお浚い。 シテ ・ ワキ に分かれて練習。 すこし謡っている感じがしてきた。「東北」 を通してお浚い。 難しい。        
          
次回、 7月14日「猩々」をさらに繰り返してお浚いする予定。

“2018
(H30)
5月
 
 12日
 (土) 
参加者 5名
(w 2 . m 3
 
  「猩々」 をおさらい。 シテ、ワキなど役割を決めて、テープ無しで、都度修正してもらい乍ら本来の形で練習。難しいが、身についていくような気がするし、充実感もある。東北を通しておさらい。 次回は、6月 9 日(土) 10:00~ (クリーンアップ日と重なり日程の関係で5月は1回)。 

“2018
(H30)
4月
 
 14日
 (土) 
参加者 5名
(w 2 . m 3
 
  「猩々」 を繰り返しておさらい。 初めての試みで、一人づつテープ無しで謡い、良くない箇所をその都度、先生に指摘して頂いて修正しながら最後まで謡いあげた。厳しいおさらいでしたが、こうやって繰り返したら身につくのではないかという実感がありました。
最後に、お手本のテープを聞いて復習して終わりました。
 
次回次々回は、 5月12日(土) 10:00~ 、 5月26日(土) 13:00~ の予定。 
 28日
  (土)
参加者 5名
(w 2 . m 3
 

“2018
(H30)
3月
 
 10日
 (土) 
 参加者 5名 (w 2 . m 3) 「猩々」 を繰り返してお浚い。 「東北」 「紅葉狩り」 をさらりとお浚い。何回も繰り返してお浚いして来た「猩々」、ようやく 「少し謡をやっている」 という感じがしてきた、久し振りの 「紅葉狩」 は、記憶の彼方にあったので難しくもあり 懐かしくもあった。     次回は、急遽  3月31 に変更された。
 31日
  (土)
 参加者 5名 (w2 . m 3) 「猩々」 を繰り返してお浚い。「東北」 「紅葉狩り」 をさらりとお浚い。何回も繰り返してお浚いして来た「猩々」、ようやく 「少し謡をやっている」 という感じがしてきた。久し振りの 「紅葉狩」 は、記憶の彼方にあったので難しくもあり 懐かしくもあった。 次回、 4月14日「猩々」をさらに繰り返してお浚いする予定。

“2018
(H30)
2月
 
 10日
 (土) 
 参加者 2名 (w 0 . m 3) 「猩々」  と 「東北」 をくり返し練習しました。 次回、 「紅葉狩」 も練習する。
 24日
  (土)
 参加者 4名 (w 1 . m 3) 「猩々」  と 「東北」 と 「紅葉狩」 を 練習する。   次回3/10 も同じ 

“2018
(H30)
1月
 
 13日
 (土) 
 参加者 5 名 (w 2 . m 3) 「猩々」  と 「東北」 は第3 区切りからくり返し練習しました。 
 27日
  (土)
 参加者 4名 (w 1 . m 3) 「猩々」  と 「東北」 時は 集中力が持続しなくなってしまうのを実感しました。 


H30 ”2018 


     2017年 12月 23日) 場所: サロンはなみずき  参加者 4 名 (w 1 . m 3) 
「猩々」 をくり返しおさらい。 なかなか安定した声が出にくく まだお腹からの発声にいたらず難しい。 「東北」は、長いので 区切りながらお稽古しました。
   次回は、年明けの 1月 13 日(土) 10:00 から

     「猩々」 と 「東北」 をあわせて習う予定です。   報告: 代行 田中千鶴子
 
     2017年 12月 9日) 場所: サロンはなみずき  参加者 5 名 (w 2 . m 3) 
「猩々」 (しょうじょう)」 をくり返しおさらい。 まだまだ助けがないと危うい。繰り返す程に難しく感じます。    次回は、12 月 23 日(土) 10:00 から

           「猩々」 と 「東北」 をあわせて習う予定です。
 
     2017年 12月 2日) 場所: サロンはなみずき  参加者 4 名 (w 1 . m 3) 
「猩々」 (しょうじょう)」 をくり返して練習(おさらい)。 まだまだ助けがないと危うい。繰り返す程に難しく感じます。    次回は、12 月 9 日(土) 10:00 から

           「猩々」 と 「東北」 をあわせて習う予定です。
 
     2017年 11月11日) 場所: サロンはなみずき  参加者 4 名 (w 1 . m 3)
「猩々」 (しょうじょう)」 をくり返しておさらい。 細部にわたって確認しながら、記憶に止められ様な気持ちで謡いました。    次回は、12 月 2 日(土) 10:00 から

           「猩々」 を細部にわたって繰り返して習う予定です。
 
     2017年 10月 28日) 場所: サロンはなみずき 参加者 4 名 (w 1 . m 3)
「 東北(とうほく)」 を通しておさらい。解らないところを繰り返して復習。 今後は、「猩々」 を丁寧におさらいする予定。 
これらの進め方として、もっと小分けにして謡い、その場で修正をしてもらいながら繰り返しておさらいし 納得した上で進む、という方針を明確にしました。
              次回は、11 月 11 日(土) 10:00 から
   
     2017年 10月14日) 場所 : サロンはなみずき 参加者 3 名 (w 1 . m 2) 「 東北(とうほく)」を残していた後ろの部分から終わりまでと 「猩々」を2回くり返して謡う
次回は、10 月 28 日(土) 10:00 から 「東北 」 を通して謡い、「猩々」 を繰り返す予定です。
 
     2017年 9月 30日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 4 名 (w 2 . m 2)
 「 東北 (とうほく)」 の 2 区切り目から3 区切り目まで。解らないところを質問して、納得するまで繰り返してもらう。 「猩々」を2回くり返して謡う
   次回は、10 月 14 日(土) 13:30 から
  「東北 」 の終わりまでと、「猩々」 を予定。
 
    2017年 9月 2日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 3 . m 3)
予定を変更して、新しく 「田村 に入らずに 「東北 ( とうぼく)」 の最初 から4 頁までをくり返しおさい次回は、9月 30 日(土) 10:00 から 「東北 ( とうぼく)」 の続きと、「猩々」 を予定。
 

 田 村 ( たむら )  構想 
 東國の僧が京に上り、清水寺に参詣する。時は弥生半ば、地主の桜の花盛りであったので、それを眺めていると、箒を持つた童子が来て、桜の木陰を掃き清める。そこで僧がこの童子に当寺の来歴を尋ねると、昔賢心が坂上田村麻呂を檀那と頼んで建立した当時の縁起を語り、なほ見渡される京の名所々々を問われる侭に教へていたが、日が暮れ、月が出て桜の花に映ずると、これの方が名所に勝る眺めではないかと、僧と共に春宵一刻価千金の風情を楽しみ、また清水の観音の利益を讃える。その様子が常人とも思われぬので、名を尋ねると、それが知りたくば、帰る方を見ていて下さいと言い捨て、田村堂の内陣に入った。~中入~ その後で、僧が夜もすがら法華経を読踊していると、坂上田村麻呂が現れ、観音の擁護で鈴鹿山の悪魔を平らげた時に様子を語る。清水の観音と言う流行佛を中心とした同寺の縁起、及びその利益による田村麻呂の戦勝の外に、境内の桜を取り入れ、花に月の映ずる春宵の風情をも狙っている。 

      2017年 8月 26日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
謡の会も新しい方が増えずにこぢんまりとやっている状況が続いています。気が抜けずに頑張りどころの1時間半です。「東 北 ( とうぼく)」 を通して 2 回。 「富士太鼓」 を役割に従って謡う。  次回は、8月 26 日(土) 10:00 から

    2017年 8月 5日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
  「東 北 ( とうぼく)」 の 3 回目。 「菊慈童」 を役割に従って謡う。 菊慈童の後半は、たたみかけるような速さで駆抜けるさまに、ついて行けずにバタバタと必死でしたが、2 回、3 回 と繰り返す内にそのスピードにも慣れていき、少しの達成感のすら味わうことが出来たような気がします。 次から 「東北」 を通して謡い、「富士太鼓」 を割り当てに従って演じる予定。  
    次回は、8月 26 日(土) 10:00 から 。

    2017年 7月 22日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
  「東 北 (とうぼく)」 の 2 回目。 平安朝の歌人で才媛のひとり、和泉式部を主人公として、全編早春の梅の匂い立つ端麗さが漂う曲です。 次に 「大仏供養」 を 役割に従って謡う。
  次回は、8月 5 日(土) 10:00 から。  「東 北」 の 3 回目、 「菊慈童」 を 割り当てに従って演じる予定。 

    2017年 7月 8日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
 新しく 「東 北 (とうぼく)」 の 一回目。 次に 「紅葉狩」 を 役割に従って 2 組 で2 回ずつ。         次回は、7月 22 日(土) 10:00 から。     (クリーンアップを済ませた後)                     「東 北」 の 2 回目、  「大仏供養」 を 割り当てに従って演じる予定。 

  東 北 ( とおぼく )  構想 
 京の東北院に詣でた東国の僧が、今を盛りの梅の花を眺めていると、女が来て、この梅は、和泉式部が植えて軒端の梅と名づけ、いつも眺めていた木であり、あの方丈は和泉式部の寝所をその儘にのこししたものであるが、花も主を慕うのか、毎年色香も彌増しに咲き匂うのである、と語ったが、実は我こそこの梅の主よと告げて、夕闇の花の影に消え失せた。 ー中入ー そこで僧は法華経を読誦しながら、花の陰で夜を明かしていると、和泉式部がありし儘の美しい姿で現れ、昔關白道長がこの門前を通り、車の中で今の御僧のやうに法華経を聲高らかに誦まれたので、それに就いての和歌を詠んだ事があったと語り、更に、和歌の徳や、この東北院が靈地である事などを語り、舞を舞うたりしたが、軈て暇申さんと方丈に入ると見えて、僧の夢は覚めた。美しさにも色々あって、梅花のそれは気品のある美しさである。その清らかな美しさを表現する手段として、上品な上臈姿の和泉式部を シテ として、梅の花に配合させたのであろう。
     
    2017年 6月 30日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 5 名 (w 3 . m 2)
 「富士太鼓」 を通しておさらい。 次に 「猩々」  を役割に従って 2 組 で2 回ずつ演じました。この様な短い曲の一つでも思うままに謡えるようになればいいなと思いました。
  次回は、7月 8 日(土) 10:00 から。 新しく 「東 北」 に入り、「紅葉狩り」の 2 回目を 「シテ」 「ワキ」 「ワキツレ」 等、役に分かれて演じる予定。 

    2017年 6月 10日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
 新しく「富士太鼓」 の 三回目。 次に 「経正」 を役割に従って 2 組 で演じました。 
 次回は、6月30日(土)10:00 から。 (サロン隣で) 。  「富士太鼓」 の 仕上げと、「猩々」 を割てられた役で演じる予定。 


    2017年 5月 27日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
 新しく「富士太鼓」 の 二回目。 次に 「小袖曾我」 を役割に従って 2 組 で演じましたが。 ながいので自分が謡わないところも集中するのは、クリーンアップの後ということもあってかなりきつかったです。 次回は、6月10日(土)10:00 から。  「富士太鼓」 の3 回目と、割 り当てられた役で 「経世」 を2組で演じる予定。  6月以降の予定変更 : 6/10(土) ・ 6/30(金) ・ 7/8(土) ・ 7/22(土) ・ 8/5(土) ・ 8/26(土) ・ 9/9(土) ・ 9/30(土) いずれも10:00 からです。

      2017年 5 月 13日) 場所 : サロなみずき  参加者 5 名 (w 2 . m 3)
 新しく「富士太鼓」 の 一回目。 次に 「羽衣」 を役割に従って 2 組 で演じましたが、羽衣は難しい       次回は、5月27日(土)11:00 から。         文責:  小林 令子
 富士太鼓 ( ふじたいこ )  構想 
 萩原院の御時、管弦の御會に天王寺の浅間という楽人が太鼓の役に召されたが、住吉の富士という上手も役を望んで上洛した。浅間はこれを知って富士を憎み、宿所に押し寄せて殺して畢つた。富士の妻は不審な夢を気にし、子供を連れて都に上がったが、かくと知って悲歎の余り心乱れ、渡された形見の舞装束を着けて、夫が非業の最期を遂げたのも太鼓ゆえ、太鼓こそ夫の敵なれと、散々に太鼓を打ったのであるが、軈て気持ちが落ち着くと、舞装束を脱いで別れを告げ、なほも太鼓に恨みを残しながら帰るのである。楽人が藝の上の事から競争者を討ったといふ事を取り扱っているが、これはワキの詞で説明されるだけで、構想の中心は、討たれた者の妻に、敵を討つだけの力がなく、せめて恨みの念を太鼓に狂い打つ事によって晴らそうとする点に置かれている。かるが故に、其の處には夫を失った女の哀れさが寫され、感情の昂ぶった発作的狂態が描かれている。連れている子供が女の子であることも、この母子の無力さと哀れさとを示すことになっている。 
      2017年 4 月 22日) 場所 : サロなみずき  参加者 5 名 (w 2 . m 3)
 「菊慈童」 の 2 回目。 「竹生島」 を役割に従って 2 組で演じて練習しましたが 今回、2 名の方が欠席しましたので大忙しでした。 次回は、新しく「富士太鼓」 の テキストを頂いたのでそれに入り、割り当てられた役で 「羽衣」 を 2 組 で演じる予定。 次回は、5月13日(土)10:00 から。
      2017年 4 月 7日) 場所 : サロなみずき  参加者 5 名 (w 4 . m 1)
  新しく 「菊慈童」 に入り、その1回目と、 「紅葉狩」 を割り当てに従って2組に演じました。
次回は、4月22日(土)10:00 から。
「菊慈童」の2 回目と 「竹生島」 を割り当てゝ演じます。

 
   2017年 3 月 25日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 3)
  「大佛供養」 を 通しておさらい、 一回目。 「猩々」 を割り振られた役割で謡いました。音程など揃わせるのがとても難しい。 クリーンアップの後、 駆けつけたので・・・声の調子が もう一つ満足できない、消化不良気味のお浚いになってしまいました。結構 体力のいる事を実感しました。 次回は、「紅葉狩」 を役割に沿って2 回と 新しく 「菊慈童」 に入る予定。 新年度に入り、新しく 何かを初めてみようと思われている方、どうぞお気軽にお入り下さい。興味本位の見学でも大いに歓迎です。      次回は: 4 月 7 日()   13 時30~

 菊慈童 ( きくじどう )  構想 
 麗縣山の麓から薬水が流れ出ると言うので、その源を見て参れと勅命を受けた魏の文帝の臣下が、應て山に着くと、庵の中から異様な童子が現れ出て、問に答へて、周りの穆王に使はれた慈童だと言う。七百年も昔の者が何うして今まで生きているのかと怪しむと、二句の偈書いた枕を示し、これは穆王から賜った御枕であるが、この偈を菊の葉に書いておくと、その葉に置く露が滴り流れて、不老不死の靈薬となるので、その為に七百歳を生きているのであると語る。應て童子は楽を奏し、菊水の流れを汲んで勤め、己も飲むうちに、酔うて菊の花を枕に臥したりしたが、七百歳の壽命を君に授けてから、菊をかき分けて仙家に帰るのである。菊の花のめでたさを強調するのが本曲の目的であり、そうして、菊の中に住み永久の童子となり得ている慈童を、奈何にも神仙らしく感じさせるように工夫している。季節は秋であるが、淋しさはなく、爽やかな気分の表現に注意している。
   

 
   2017年 3 月 3日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 3 . m 3)
  「大佛供養」 の 残り部分を謡い、分けてやって来たものですが今回で終わりまでさらったことになりました。休憩のあとは、「経正」 を割り振られた役割で謡いましたが、度胸だけはついてきたような・・・。次回は 3月25日は、クリーンアップ終了後 11:00~ 「大佛供養」 を通しておさらいをします。 役割に従って謡うのは 「猩々」 の予定。
                
次回は: 3 月 25 日)     13 時30分 ~
 


 
   2017年 2 月18日) 場所 : サロなみずき  参加者 5 名 (w 3 . m 2)
  「大佛供養」 の 2 回目。 休憩を挟んで後半は 「小袖曾我」 を、 シテ、ツレ、五郎、母、他 に分かれて謡いました。「シテ」 の量が極端に多くて演じての負担が大きかったです。 次回は 「経正」 を役割に沿って謡い、「大佛供養」 の 3 回目の予定です。
                
次回は: 3 月 3 日(金)     13 時30分 ~
 


 
   2017年 2 月3日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
  新しい 「大佛供養」 に入りました。 休憩を挟んで後半は 「羽衣」 を、割り振られた役割で2 パターン演じて謡いました。 シテ、ワキ、ワキツレ、ツレなど文頭に小さい文字で記されているので 「役」 が解りにくゝ、少し入り乱れたところもありましたが 先生 曰く、「だいぶ声が出てきた」 様です、 との事。   次回は 「小袖曾我」 を役割に沿って謡い、「大佛供養」 の 2 回目です。
    
次回は: 2月 18 日)     13 時30分 ~
 
 大佛供養 ( だいぶつくよう )  構想 
 平家没落の後、悪七兵衛景清は都に上がっていたが、南都で大佛供養が行われると聞き、自分も南都に住む母に対面せんものと、忍び忍びに南都へ急ぎ、母親お尋ねると、母は喜び迎へた後で、頼朝を狙っているという噂は真かと尋ねる。 景清は包まずその決心を語り、平家の武士の中で最も重んぜられていたのが、今は隠れ忍びながら暮らしているのを歎いた。軈て夜が明け、親子は涙ながら別れる。ー中入ー 頼朝が家来大勢を連れて供養の場に臨むと、景親は宮人の姿に変装して近附かうとしたが、終わりに頼朝の家来に見顕されたので,銘刀あざ丸を抜き大勢の中へ割って入り、向かうものを斬り伏せたが、今はこれ迄と、あざ丸の霊気を利用して、霧立ち蔽ふ中に身を隠して遁れさるのである。作者の狙いは、おそらく後段にあったのであろう。殊に変装して相手に近附かうとする大衆的興味を狙ったものゝようである。前段は、景親の人間味を描くと共に頼朝を討とうとするまでの経緯を母との会話によって説明しようとしたものである。



 
   2017年 1 月28日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
  「紅葉狩」 を通しいておさらいと、「竹生島」 を役割に割 り振って謡いました。 「シテ」 「ワキ」 「ツレ」 「ワキツレ」 を独りづつ役割に沿って初めて謡いました。 緊張して途中で声がかすれたりしましたが、思い切りやってみて面白かったです。 次回は、「羽衣」 を役割に沿って謡い、新しく 「大仏供養」 を習います。        
次回は: 2月 3 日(金)     13 時30分 ~
 


 
   2017年 1 月6日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
  「紅葉狩」 の 3 回目 と 「猩々」 を2 回 繰り返して復習。 今回で 「紅葉狩」 は全編通したことになります。 先生から、次回から数回 役柄を割り当てゝそれを演じて謡うことを言い渡されて一同どよめきの声を上げてしまいました。 さて次回から・・・いかに ?
次回は: 1月 28 日(土) 10 時00分 ~「竹生島」 を割り振られた役割で謡う、初挑戦です。
 


H29 ”2017 



 
   2016年 12 月17日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 5 . m 2)
  「紅葉狩」 2 回目、 そして 「小袖曾我」 の復習。 年内最終日でした。 
発起してから、あっという間の1年でしたが大分 声も出せる様になったのではないかと思います。中々、奥が深く お題は 「10 曲」 謡い習ってきましたが完璧にマスターする迄には程遠い感じ・・・でも、継続が成果を結ぶと信じ、次年も楽しみます。 乞う 体験 !! 
 お待ちしてます。
次回予定: 新春 1月 6 日(金) 13 時30分 ~  「紅葉狩」 の続き と 「猩々」 の復習予定。
 


 
   2016年 12 月2日) 場所 : サロなみずき  参加者 8 名 (w 5 . m 3)
 新しく 「紅葉狩」 に入り1 回目。長いのでこの後も分割して謡う予定です。 その後は、「羽衣」を復習しました。  1時間半の間に休憩をはさんでいますが何度も息切れして酸欠のような状況のなる事しばしば、ですが 終わった後には軽い疲労感と共にお腹から発声した心地良さも感じられます。
  
次回予定: 12月17日) 10時00分~ 「紅葉狩」 の続きと「小袖曾我」の復習の予定
 
 紅葉狩 ( もみじがり )  構想 
 ある山で、上蔽らしい女が侍女たちと共に木陰に幕を打ち廻して、紅葉狩りの酒宴をしていると、従者を連れて鹿狩りに来た平維茂が通りかゝり、山中での上蔽の紅葉狩を不審には思ったが、興を妨げまいといふ心遣いから、馬を下り、道を変へて、静かに通り過ぎようとすると、上愛は維茂を引き留めて酒宴の仲間に誘ひ入れる。美人の酌に思はず盃を重ねうっとりとして、終に維茂が酔ひ臥してしまふと、女達は、そのよく寝入ったのを見届けて姿を消した。ー中入ー軈て、維茂の夢の中に神の告があり、それに驚いて目を覚ますと、今までの女たちは恐ろしい鬼の本体を現して維茂を襲って来た。然し、維茂は少しも騒がず、八幡大菩薩念じながら立ち向かひ、遂に鬼を討ち平らげるのである。深山の鬼を取り扱った曲は他にもあるが、これはその鬼を勇士が退治する活劇と山中における紅葉狩りの描写とを対照させたもので、其の處にはまた美人の魅力を強調しながら、然も「外面如菩薩・内心如夜叉」といふ仏者の教えを仮住いしている鮎も窺われる。



 
   2016年 11 月19日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
 「猩々」 を2 回おさらいして、 「経正」 と 「吉野天人」 の復讐をしました。 はじめの内容
(構想) を解説してもらってから謡い始めているのですが、 中々 それを理解しながら謡って行くのはとても難しくって、気持ちを込めて謡えるようになるのはまだ先のようです。
    
次回予定: 12月02日(金) 13 時30分~  「羽衣」 の復習と 「紅葉狩」 。 


 
   2016年 11 月04日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 4 . m 3)
 新しく「猩々
(しょうじょう)」 。 夢のお告げで市場でお酒を売っていましたが、水の波間から現れた猩々という者と、共にお酒を飲み交わし舞を舞いました。 猩々は、高風の徳を褒めて酌めども尽きない泉のような酒壺を与えて去りました。心の純な者に対してお酒による幸福が与えられるというお酒のめでたさを強調した話です。後半は、「竹部島」 の復讐をしました。
    
次回予定: 11月19日) 10 時~  「猩々」 ・ 「経正」 ・ 「吉野天人」 。 
 猩 々 ( しょうじょう )  構想 
 唐土かね金山の麗揚子の里に住む高風の親孝行であったが、 ある夜の麗夢に任せ、楊子の市で酒を売り、次第に冨貴の身となった。所が不思議な事には、市毎に酒を飲みに来る者があって、何程 飲んでも平気なので、その名を訊ねると、海中に棲む猩々だと答へて立ち去った。 そこで高風は酒を用意し、潯陽の江の辺に出て待っていると、軈て猩々が現れ、酒を飲み、舞を舞ひ、また高風の淳な心を褒めて、永久に汲めども、盡きぬ酒壺を輿へるのである。 本曲の目的は勿論酒の禮讚であるが、その酒は不老長寿の薬、即ち 「菊慈童」 の菊の水と同性質のもので 猩々は慈童に相当するわけである。 また、心の淳な者に対し酒による幸福が輿へられるといふ構想は、酒のめでたさを強調する手段ともなっている。 【付記】 本曲は、もと前後 二場 となっていたのを 省略したもので、前半は 「猩々の前」 として 番外曲に残されている。 


 
   2016年 10 月29日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 4 . m 2)
「小袖曾我」 を通して2 回、謡い込みました。難しい!! 自分一人で謡えるのは一体いつ頃にになるんか
~? って言う程 不安と佳境に立たされている今。(笑) 体験者もおられるのですが仲々日程等が合わず継続できない方がいる。 次回から新しく 「猩々」 (しょうじょう) と 「竹生島」 の復習予定。
    
次回予定: 11月4日(金) 13 時30分~  皆さん、一度体験でもしてみませんか? 
     2016年 10 月 7日) 場所 : サロなみずき  参加者 7 名 (w 5. m 2)
「小袖曾我」 の終わりまでおさらいした後、初回の 「鶴亀」 に戻って謡いました。段々と難しくなってきているので、初めの 「鶴亀」 が少し余裕を持って謡えたような気がしました。 酸欠のような状態になりながらも、そのあとはふか~く息を吸って発声に備えるので謡った後は、内蔵が イキ イキ するような感じがします。 それで、健康に良いのではないかと思います。次回は、新しく「猩々」 に入る予定です。

                  次回は、10月 29 日
(10 時 ~サロン。 
     2016年 9 月 24日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 3. m 3)
「小袖曾我」の 5 P-1 途中 “
日本一のご機嫌にて・・ 9 P - 1 途中 “慈悲の母とも申すべけれ・・” まで習いました、 次回最後まで通す予定。 それと今日は 「羽衣」 を通しで謡いました。 次回は、小袖曾我 9 P - 1 ~残りを謡い、「鶴亀」 を復讐する予定。 
                    次回は、10月 7日
(10時 ~サロン。 
     2016年 9 月 10日) 場所 : サロなみずき  参加者 4 名 (w 2. m 2)
今回から新しく「小袖曾我」 に挑戦しました。全ては学習できず 「5-1」ページ途中 “
葦垣の隔てあるこそ悲しけれ” まで習いました。 構想によると親子・兄弟の情愛が歌われて感動的な物語になっているようですが、そのあたりの感情を込めて謡えるようになると きっと素晴らしいのでしょう。 次回は「小袖曾我」を最後まで通し「羽衣」の復習もする予定です。
                    次回は、9月24日
(10時 ~サロン。
 小袖曾我  構想 
 建久4年5月、頼朝が富士の巻狩を催すので、曾我兄弟は、この機会に時致の勘当を宥して貰った上、敵祐經を討たうと思ひ、家人の鬼王・団三郎を連れて母を訪れた。母は祐成には会ったが、時致に対しては、母の詞に従わないで勝手に箱根の寺を出たのだから、なほ重ねての勘当ぞと、面会を許さないので、祐成は、私の力になる弟にそうゆう態度をとられるのは、実はこの祐成をも思って下さらぬからであろうと怨み、又時致の孝心の程をも述べた後、両人一緒に泣きながら出て行くと、母は堪へ兼ねて呼び留め、時致の勘当を許した上、久く会わなかった間の物語をさせる。祐成は喜んで酌に立ち、兄弟一緒に舞を舞ったが、その中でそれとなく母に別れを告げ、勇んで狩場へ向かった。事件の中心は弟時致の方であるが、弟の勘当赦免に苦心し、更にその宥しが出て喜ぶ兄祐成の方に、作者は重きを置いている。 〔追記〕  観世元章の明和改正本には曾我物が全部除かれている。

     2016年 8 月27日) 場所 : サロなみずき  参加者 5 名 (w 3. m 2)
 「羽衣」 を最後まで通して謡い込みました。難しさでも大作で、通して最後まで謡い終えると一斉にため息がもれました。お腹の中から出そうとしている声が一節の節目で安堵感と溜息に変わる。 次回から、新しく 「小袖曾我」 に挑戦、 「経正」 も復習します。
                      次回は、9月10日(10時 ~  サロン。
     2016年 8 月 5日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 3. m 3)
 「羽衣」 の3 回目、これでようやく 「羽衣」 を最後までやってみたことになります。だんだんと難しくなってきて、区切りごとに皆のため息も深くなってきました。午前中の体操を終えられた大久保圭子さんが、初回とは思えないような発声で飛び入り参加して下さり、曜日が合えば今後も参加したいとの事でした。次回は、「羽衣」 の謡いこみです。   次回は、8月27日(10時 ~  サロン。
     2016年 7 月23日) 場所 : サロなみずき  参加者 6 名 (w 3. m 3)
 「羽衣」 の2 回目、中程の天の原。ふりさけ見れば。霞立つ。雲路まどひて。行方知らずも住み馴れし空に何時しか行く雲の羨ましき気色かな」
やら 語尾に 「・・・・い~い~い~~・・・・」 と一つの語に抑揚つけて長く謡うところなどが非常に難しくて、皆で苦笑してしまいました。次回は、羽衣を最後まで習って、土蜘蛛の復習予定。今回は、クリーンアップの後で疲れもあり、又 午後からも会議があるというので少し短めで切り上げて頂きました。         次回は、8月5 日13時 ~ サロンの都合。


 
   2016年 7 月 9日) 場所 : サロなみずき  参加者 8 名 (w 5. m 3)
 ある春の日、
三保の松原の一本の松の木に美しい衣が懸かっているのを見つけた白龍は持ち帰ろうとするが、天人が現れてその羽衣がないと天に帰れないと言う。空を懐かしげに見上げるその哀れな様子に心を打たれた白龍は、天人の舞楽を見せてもらうのを条件に衣を返すことにした。 天人は喜んで天人会の面白さを語り、この松原の春の景色を讃えながら舞う、やがて富士の峰よりも高く、霞んだ空の彼方へと消えた。のどかな春の海に青々とした松原、向こうには富士山、そんな情景の中を、美しい天人が舞いながら天空へと帰って行く。正に一幅の絵画の如し。初回なので、意味を噛み締める迄とはならず・・・休憩を挟んで 「橋弁慶」 のお浚いをしました。  次回は、7 月23 日11時 ~

 羽 衣  構想
 ワキ と ワキツ レとの一聲から上歌までは、白龍たちの漁夫が釣りに出かける所から長閑な春の海景色を描写した文句である。その春の海を控えた三保の松原のとある松に美しい衣が懸かっているので、白龍はとって帰ろうとする。そこえ天人が現れて、それは私の羽衣だから返して下さいと言う。嫌だと言うと、それがないと天に帰れないのですと欺き、空を懐かしげに見上げる。その哀れな様子に心を打たれた白龍が天人の舞楽を見せて貰うのを条件にして衣を返す。天人は喜んで、月界に於ける天人生活の面白さを語り、この松原の春の景色はその天界にも勝る面白さですと讃めながら舞を舞うたが、それが伝わって東遊の駿河舞となった。さて天人は暫く袖を誑して舞うていたが、軈て富士の山よりも高く、霞んだ空の彼方へと消え伏せた。長閑な春の海に青々とした松原、遠景には富士山が見える。そういう情景の中で、美しい天人が舞いながら昇天する。正に一幅の絵である。 

     2016年 6 月22日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 4. m 2)
 前回と同じく 「経正」
(つねまさ) を通しました。 討ち死にした平 経正を哀れに思った仁和寺の行慶という僧が、経正が生前手馴れていた 「青山」 という琵琶を仏前に供えて霊を弔っていました。 その夜更け行慶の前に経正の霊が現れ、琵琶を手に取り懐かしんで弾いていたが、やがて修羅の時刻がやってくると、浅ましい自分の姿を恥じて暗闇に消え失せた。と 琵琶の名手として名を馳せた経正の若々しい貴公子の優雅さ、たおやかさが際立って謡われているといいますが・・・奥が深く中々難解です。
    次回は、7 月 9 日10 時~ 新しく 「羽衣」 。 そして 「橋弁慶」 の復習をします。   
     2016年 6 月11日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 8 名 (w 5. m 3)
 「経正」 という演目を最後まで謡い終わって・・・本編は修羅物であるが、他の多くの修羅物の如く、単なる諸国一見の行脚そうではなく、主人公 経正と同じく御室の御所へ仕えている大納言の行かくで経正にとっては師匠格の人であるっとの行り、 一時間ほどお浚いしてから軽く休憩してさらに30分、上半身の鍛錬にもなっているような気がしてます。何となくスッキリ気分。8名の参加で良かった。 
                    次回は、6 月 22日
10 時~
 

 
   2016年 5 月28日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 8 名 (w 5. m 3)
 上がり下がりなく淡々と謡うところは何とか先生について行っていますが 抑揚が複雑にある微妙なところに来ると、皆さん調子が乱れ気味。 各々が、そっと苦笑してしまいながら謡っている様に思います。それでも、「初めてのことに挑戦するのは楽しいとの事」 今日は、8 名 揃って賑やかで充実した1時間半でした。          次回は、6 月 11日10 時 ~
 
 經 正  構想
 平經正の討死を憐れに思はれた仁和寺の宮は、經正が生前に手馴れていた琵琶を仏前に供へ、管絃講を催してその灑を弔ふべき由を命じ、仰せを受けた僧都行慶は人々を集めて法事を行ったが、その夜更けに、經正の幽霊が現れて、行慶と詞をかはしたので、更に絲竹の手向を進めると、經正も琵琶を取り、自ら弾じて楽しんでいたが、軈て修羅闘諍の時刻が来ると、その苦患の有様を示し、こんな姿を見られるのも恥ずかしいとて、燈火を吹き消し闇の中に消え失せるのである。平家の公達を幽霊とし、それが管絃の手向に引かれて現れるという構想にし、随つて、幽霊らしい感じを出そうとした工夫が随所に見える。又修羅道の苦患を受ける我が姿を見せまいとする所に、平家の公達の優しさが描かれている。 

     2016年 5 月14日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 5. m 1)
 「竹生島」 を繰り返しておさらいしました。初めは音合わせのように謡うことだけで あたふたしていますが、 繰り返すことで内容が少しずつ解って謡うことが出来るようになって面白みが増してきます。次回は、5 月 28 日11 時~  当日は、クリーンアップと重なる為始まりは11時からです。
     2016年 4 月23日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 8 名 (w 5. m 3)
 桜が終わって若々しい葉っぱになってきましたが。謡の方も 「吉野天人」 を通してお浚いしてひと落着、「竹生島」 に入りましたが、復習も肝心だと思います。皆さん「土蜘蛛」 も練習しておきましょうね。               次回は、5 月 14 日) 10 時 ~ 
     2016年 4 月09日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 7 名 (w 4. m 3)
 今回から、新題目 「竹生島」でスタート、 はじめに 構想 の読み上げで、 このストーリーの荒筋把握“
“ 竹に生まるゝ鶯乃・・・”~先生の(テープ)謡調子に合わせて繰り返し練習をする。教本 17ページの “ 面白の島の景色や・・・” で、本日の例会は終了。 今回から、ベテランの荒木さん(90歳)が ナルク入会と同時に参加されました  次回は、4 月 23 日(水)10 時 ~ 
 竹 生 島 構想
 延喜の聖代に仕えているある臣下が、竹生島参詣の途中、琵琶湖の畔まで来ると、漁翁と若い女とが乗っている釣り舟が来たので、それに乗せて貰い、竹生島に着いてから、漁翁の案内で社参をすると、女も社前に近づくので、この島は女人禁制ではないかと怪しむと、漁翁は、この社の弁財天は女體であるから、女人とて隔てはないと言ふ。その時、女は、我は人間に非ずと言って社殿に入り、漁翁も、我はこの湖の主ぞと言ひ捨てゝ波の中に入る。 --中入-- やゝ あって神殿が鳴動すると、弁財天が現れ、夜遊びの舞楽を奏し、続いて湖上には龍神が出現し、臣下に金銀珠玉を捧げた後、天女、は社殿に、龍神は波を蹴立てゝ龍宮に帰るのである、湖上の春景色を描き、 更に社前に額づく前段の構想は、 室町時代の京都人にとって、親しみのあるものであったに違いない。後段では、天女と龍神とを対照させ、龍神の豪壮さを際立たせている。 

     2016年 3 月23日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 7 名 (w 4. m 3)
 前回に続いて 「吉野天人」 の教本 14ページ
“いかに申すべき事の候” から謡い始めました。そして再び最初から 「通し」 で謡い、休憩後も繰り返し練習を行った。
                 次回は、4 月 09 日) 10 時 ~ 

 
   2016年 3 月12日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 7 名 (w 4. m 3)
 都の男たちが吉野の花見をしているところに天人が降りて来て桜と戯れながら舞を舞って雲の上に帰って行ってしまうと言う作者の構想である。丁度これから訪れるお花見の季節にピッタリの謡いようです。内容も華やか、謡う調子も何だかけいかいなかんじがします。竹内さんの発声も快調の出だし、休憩後には、「土蜘蛛」 を1 回お浚いをして今回は終了。
                 次回は、3 月 23 日) 10 時 ~ 
 吉 野 天 人 構想
 毎春各所の桜を見ることにしている都の者が、今年は吉野の花を見んものと、仲間を伴い、吉野山の奥深く分け入ると、高貴な姿をした一人の女が現れたので、都人たちが怪しんで尋ねると、この辺に住む者で、一日中花を友のように暮らしているのであると答へ、都人と一緒に花を眺めていたが、いつ迄も飾ろうとしないのを不審がると、実は私は天人で、花に引かれて来たのであるが、今夜ここに旅居して信心なさるならば、古の五節の舞を見せましょうと云い捨てゝ消失した。--中入--聴いて夜になると、虚空に音楽が聞え天人が現れ、花に戯れ舞を舞っていたが、再び花の雲に乗って消失するのである。簡単で定型的な構成の下に、桜花爛漫たる吉野の春の駘蕩とした気分を描こうとしたもので、嵐山の桜を取り扱った曲には「嵐山」があるが、そのシテの豪壮な蔵王権現に対して、嫋々たる天人をシテとし、その天人に吉野の花を讃美させている點に、本曲の狙い所があるかと思ふ。 

     2016年 2月22日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 5 名 (w 3. m 2)
 前回と、ほぼ同じペースで10 時スタート。回を重ねて「土蜘蛛」 を習って、このお題は、今回で終盤を習うことになりました。少し皆さん声量も整って来た感じ、お腹の底から発生する為上半身に軽い疲労感さえ感じます。加齢と共に声も出にくくなりますが・・・謡の発声は健康にとても役立つと思われます。                  次回は、3 月 12 日) 10 時 ~ 
     2016年 2月13日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 5 名 (w 3. m 2)
 土蜘蛛(つちぐも) 前回 前半のおさらいと、その部分の 「通し」 、中盤の習いを終え~~又、全員で通し(テープと竹内さんのリード)で今回は、終了。
               次回は、2 月 22 日(月) 10 時 ~ 
     2016年 1月20日(水) 場所 : サロンはなみずき  参加者 6 名 (w 3. m 3)
 今回からは、新しく 「土蜘蛛」 に入りました。 新 お題の取っ掛りは、いつもですが ・・・とても難しく感じます。 この 「土蜘蛛」は、とても長い題目です。区切って習う予定だそうです。
                 次回は、2 月13日) 10 時 ~ 
 土 蜘 蛛 構想
 病臥中の頼光の許へ、胡蝶と云ふ女が典薬頭からの薬を持って見舞いに来たが、深更に及び、今度は僧形の怪人物が枕元に現れて病状を問うので、頼光が怪しんで名を尋ねると、わが背子が云々の古歌を以て返事に代へ、千筋の絲を投げ掛けたので、頼光が枕元にあった膝丸で切りつけると、その妖怪は消失せる。 - 中入 - その物音に驚いた獨武者が駆けつけ、頼光の話を聞いて座中を調べると、夥しく血が流れているので、血の跡をたどって退治に出かける。聴いて獨武者の一行は古塚の前に達したので、その塚を崩すと、中から土蜘蛛の精魂が現れ、千筋の絲を投げかけて苦しめたが、遂にそれを退治して都へ帰るのである。僧形をした妖怪の頼光に対する行動を中心にして構想したものであって、最初に頼光を見舞ふ女を登場させ、次にこの僧形妖怪が見舞いを装って枕元に近づくといふ構想は、可なり劇的、シテが中入りすると、ワキが入れ替わって出場する、極めて劇的な構想である。

     2016年 1月 9日) 場所 : サロンはなみずき  参加者 4 名 (w 2. m 2)
 今回は、題目 「橋弁慶」 の 前半 と 中盤 を習って、休憩後 終盤迄 通しで謡いました。 未だ まだ先生のテープで唱和するのが精一杯です。続けて通すと 22分 かかりますが・・・節回しが段々と難しくなってきます。気風に合わせて謡おうと思うのですが旨く謡えない。 でもみなさん頑張っています。             次回は、1 月 20日(火) 10 時 ~ 


H28 ”2016 

     2015年12月23日(水) 場所 : サロンはなみずき 参加者 8 名 (w 4. m 4)
 今回は、田中代表もさんかされ賑やかになりました。人数が増えるとボリュームが出て楽しくなります。他の同好会と調整しながら、取り敢えず 3月まで予定を組むことが出来ました。            
                次回は、1月 9日) 10 時 ~ 
     2015年12月12日 ) 場所 : サロンはなみずき 参加者 6 名 (w 3. m 3)
 今回は嬉しいことに、新メンバーとして青山さんが加わりました。「鶴亀」 を1回お浚いしてから「橋弁慶」 の前半のところを習う、 更に、「橋弁慶」 の続きにはいりました。お腹から 発声しているせいか ?一生懸命 竹内さんのリードに付いて行くせいか? 上半身にしっかりとした疲労感を感じました。今日の青山さんのように、次回もどなたか新しく加わって下さらないかな~と心待ちしている状況です。
                次回は、12月 23日) 10 時 ~ 
 橋 瓣 慶 構想
 武蔵坊弁慶が、満参の日に、五条天神へ丑の刻の刻詣をしようとすると、従者が、五条の橋に少年が現れて、不思議な早業で人を斬り廻るそうだから、今夜の物詣はお止めになったらと云ふ。それを聞いて、弁慶は思い止まろう としたが、聞き遁げは無念、寧ろその化生の者を討ち取ってやろうと決心して夜更けを待つ。 - 中入- 牛若は、母の命令で明日は寺に上ることになったので、今夜を名残に五条の橋に出て、通る人を待っていると、鎧に身を固めた弁慶が大長刀を擔いでやって来て、被衣姿の牛若を女と思い、通り過ぎようとする時、長刀の柄元を蹴り上げて戦を挑み、激闘の後、辨慶は牛若の方にしたのは、前段に於ける会話で、牛若の早業に関する予備説明を加えようとした為であって、本曲の中心を成すのは、云う迄もなく後段の切組である。

     2015年11月24日 ) 場所 : サロンはなみずき  参加者 5 名 (w 3. m 2)
 初会の 「鶴亀」 を復習。抑揚をつけるところ、伸ばすところ など その記号は見慣れてきましたが、理解と実技が伴わない所が多々有り修正しながらも楽しく唱和しました。 今回は、2 回目という事で、竹内さんに 次の 題目の 構想(内容) を読んで頂いてから、早くも新しい 「橋瓣慶」の習いに入りました。幾多の事情の為に参加者が5名だけでしたが、次回は、謡う声で? サロンを揺るがすくらいにならないかという希望を持って閉会としました。      次回は、12月12日) 10 時 ~ 
     2015年11月 7日 ) 場所 : サロンはなみずき  参加者 9 名 (w 4. m 5)
 初回は、題目 「鶴亀」から始める。竹内さんのお師匠のテープを聞きながら、竹内さんの手引きによりスタート。区切って反復練習、通しておさらいを繰り返しました。初めはテープの音声に戸惑いもありましたが、テキストを見ているうちになれてきた。難しくて追いつけないこともありましたが解り顔で暴走してしまって竹内さんにブレーキをかけられたり・・・楽しく初回を学ぶことができました。
                      次回は、11月24日(火) 14 時 ~ 
 鶴 亀 構想
 新春に、支那の朝廷で四季の節会の事始めが催、不老門に於いて、天子は百官鄕相の拝賀を受け、萬民も群集して礼拝する。拝賀が終わると、嘉例によって鶴亀を舞はじめ、その後、天子も舞楽を奏せしめて、自ら舞ひ、繭て長生殿に還御するのである。作者の目的は、おそらく賑やかで華やかな祝言曲を作るといふ鮎にあったであろう。長いと、華やかさが中たるみになる虞れがあるが、短いと、その鮎では好都合である。即ち、短い中に出来るだけめでたい文句ならべようといふのが、作者の狙いであったろうと思ふ。場面を支那にしたのは、端相的語句引用の便宜にも因らうが、天使をシテとして舞わせるにも好都合であったからであろう。








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