「被災地復興支援に学び、ナルクの将来を見据える」
仙台・福島にて創立20周年記念行事を盛大に開催


平成26年 5月25日から27日の3日間 ナルク USA を含む100以上の拠点から、総勢 約1300名が一堂に会し
ナルク創立20周年を祝う定期総会や全国代表者会議、シンポジュウム等 を開催した。 併せて、参加者は数グ
ループに分かれて被災地視察、仮設住宅入居者慰問、植樹等も行った。 我が高槻・島本からは 20名の会員
が参加、 参加者たちはきつい旅程やハードなスケジュールにも負けず、終始真剣な態度で全体会議に出席。
又、被災地の現状とこれらの課題について学び、同時に 今後の拠点としての活動の進むべき道を模索した。

  以下は、夫々の行事参加者からの感想コメント(抜粋)です。    

  記念行事 一日目
   その日は朝6 時過ぎに集合、伊丹空港から 仙台空港へ福島行バスに移動、南矢野目仮設住宅を訪問した。最初、車窓からは新築棟の立ち並ぶ様子が、やがて右折すると、ニュースで見覚えのある仮設住宅のフェンス沿いに沢山の美しい草花が植えられてあるのが見え、思わず涙が止まらなくなった。仮設では薄い板張り床が、寝返りを打つと軋むと言った困難な状況を聞いていたが、そんな中でも、人間らしい生活を送ろうとする皆なの頑張り ・必死なのが感じられたからだ。  自治会館に着くと、現地のナルクの人達が既に10名程、少し硬い表情で待っていた。私たちに出来る事は、甲田さんの指導で 「ますます元気体操」 を全員で行ったり、「ハンドマッサージ」 を施してあげたりした。 私も相手となる人の手を取って、心を込めてマッサージをした。
 







 
 
すると・・声細くして 「厳しい冬なんかは外出したくてもままならず淋しさが募るばかり」 とこぼされました。 今度は私が 「実は3 年前に夫を送り、今は独居なのです」 と伝えると、相手の顔 が パッ とほころんで、実は「孫が4人いるんです、8月には逢えるので、楽しみにしている」 と続けた。最後に、 お互い何度も握手をして 「元気で長生きしましょうね」 と別れを告げた。            投稿者 :   清水 幸子 


  福島駅から近い市街地の中心にあり、208戸の仮設住宅がびっしり整然と立ち並んでいる南矢野目を訪れた。集会所に通されると、入居者側の参加者は始め7名だったのに対し、ナルク側は 現地、本部、我々の3 拠点を合わせると34名、ちょっと予想と違っていて戸惑いを覚えた。 しかし、甲田さん指導の 「ますます元気体操」 で場が少し和み、次の 「ハンドマッサージ」 へと進めていくうちに、徐々に雰囲気が良くなって来るのを感じた。その後、参加者も増え15~6名に増え、いよいよ盛り上げ役のビンゴゲームでの場は最高潮に達した。
 最後に、3 拠点夫々からの 「お土産」 を お渡しして、約1時間半もの活動はお開きとなった。最初は、固い表情だった入居者たちも、明るい顔で会場を後にされ、私はそれを見ながらとても ホッ とした気持ちになった。
             投稿者 :  品川 耕治 

 記念行事 二日目
  創立20周年記念総会 パネルディスカッション仮設住宅自治会長 = 「仮設は2 部屋のみで家具を置くと寛ぐスペースもない。台所にはまな板や作った料理も置けない。健康不安・先行不安でストレス障害者が増えている。」・・・昨日、仮設集会場で、先行きが全く見えない不安と行政への怒りを入居者から聞いたばかりで胸が痛む。交流会 釜石 あの日あの時甚句 = 「来年定年退職したら温泉旅行に行こうと約束していた夫に、もう一度会いたい、そして一緒に温泉旅行に行きたい。」・・・甚句の節回しと語りの悲しさに会場が感涙。小学3年生 の 作文朗読 = 「その翌日、家に帰っても母がいない。妹と二人で悲しみを堪えて探し廻った・・・」 に一同涙々。 閉会・仮設居住者見送り = 交流会が終わり、会員一同で招待していた仮設居住者を拍手で見送った時、仮設の方々が涙ながらに去られる様子に又、思わず涙。                                                  投稿者 :  野口 弘明

 記念行事 三日目
  荒浜被災地・名取閖上(ゆりあげ)被災地へ向かった。報道で見た景色ではない、その現実の世界を目の当たりにした時、自然の驚異の恐ろしさを知った。中々進まぬ除塩作業 で薄皮を剥ぐが如しの水田づくり、被災地の方々の力とご苦労に尊敬の念を抱いた。我が家に帰りたいとの願いを込めた黄色い旗が、各家の敷地でたなびいていた。広大な平野の片隅に、田植えを終えた水田に映える青い空が見えた。この日車中で一緒だった、認知症を患う姫路拠点の女性会員の手を引きながらこの風景を見ていた。彼女にとって終戦後の混乱と重なっていた。 この荒野原は、爆弾が降り注いだ後の焼け跡と同じだった。そして、「綺麗に咲いて可愛いね」 と穏やかに笑って彼女が言うので、見ると小さな花が風に揺れていた。 この時、私はナルクの精神の大きさを知り、真の意味で学ぶことが出来たという気がした。  投稿者 :  山根 喜代子


   最終日の27日午前、仙台空港に近い荒浜・名取閖上被災地を見学した。あの日、美しい松林の海岸沿い荒浜地区(800世帯)は一瞬にして消え去り、それから3年余りが経った今も荒地のままだ。それでも 「また、この地に帰りたい!」 と願う人々は “希望の黄色いハンカチ” を掲げた。まるでそれを応援するかのように、辺には黄色い金雀枝(エニシダ) の花がいっぱい咲いていた。新しく建立された 「荒浜慈聖観音」 に私たちも手を合わせ 一日も早い復興をお祈り致しました。                         
投稿者 :  加藤 洋子






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